東佐波令村(読み)ひがしさばりようむら

日本歴史地名大系 「東佐波令村」の解説

東佐波令村
ひがしさばりようむら

[現在地名]防府市緑町みどりまち一―二丁目・国衙こくが一―五丁目・多々良たたら一―二丁目・美和みわ町・惣社そうじや町・国分寺こくぶんじ町・南松崎みなみまつざき町・警固町けいごまち一―二丁目・勝間かつま一―三丁目・鐘紡かねぼう町の各全域、および天神てんじん一―二丁目・松崎まつざき町・東松崎ひがしまつざき町・上天神町かみてんじんまち東三田尻ひがしみたじり一丁目・鋳物師いもじ町の各一部と大字東佐波令

多々良たたら山の東南麓に開けた地で、東は牟礼むれ、北は佐波川を境に上右田かみみぎた、西は西佐波令・三田尻の諸村、南は海に囲まれる。また西佐波令との間には中世より栄えた宮市みやいち町があり、山陽道が村内を東西に通る。萩藩領で三田尻宰判に属する。

古代から中世にかけて周防の国衙が置かれ、村域内には周防国分寺松崎まつざき天満宮などの古社寺があり、周防国内では最も早くから開けた地である。

西隣の西佐波令や宮市を含んだ地を中世から近世中期頃まで佐波令とよんでおり、東西の佐波令村に分けて高付されるのは寛永三年(一六二六)の熊野帳が最初で、東佐波令村の総石高は一千八三六石一斗九升八合であった。

「地下上申」の寛保元年(一七四一)上申分は佐波令全体で記すが、その内訳として東佐波令一千七八三石余(田方一千五〇七石余、畠方二二六石余、町地料石四九石)、国衙村一千二〇五石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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