本博多町(読み)ほんはかたまち

日本歴史地名大系 「本博多町」の解説

本博多町
ほんはかたまち

[現在地名]長崎市万才町まんざいまち

今下いました町の北西中島なかしま川河口の右岸にある長崎うち町の一ヵ町で、陸手に属した。町並はほぼ南北に形成され、西は今町に接する。町立て以前、天正一一年(一五八三)に組織されたコンフラリア・デ・ミゼリコルディア(慈悲の信心会)に同一二年教会が付設、慶長九年(一六〇四)時刻を告げる時計が取付けられていた。同一九年幕府が派遣した山口直友が平戸・大村両藩などの士卒を動員して当地の切支丹寺を破却したとされるが(長崎志)、これらの施設の破壊は元和六年一月(一六二〇年二月)のことである。墓地立山たてやまのサン・ミゲルに移転されたという。文禄二年(一五九三)筑前博多商人の来住により博多町が成立したという。慶長二年頃「博多町衆」が伊勢参宮に赴いている(「御参宮人抜書」橋村家文書)。同一三年頃に今博多いまはかた町の起立に伴い本博多町と改称した。一六一四年頃、イエズス会の聖体行列が大村おおむら町から本博多町に入ったが、この博多出身者が軒を並べる通りの一角に村山等安も家を買っていたという(アビラ・ヒロン「日本王国記」)。元和八年の長崎ロザリオ組中連判書付に「本はかた町」の「がすぱる」が署名している。寛永一九年(一六四二)の平戸町人別生所糺によれば、平戸町の源之丞は平戸生れで幼少の頃に「長崎本博多町」に来てキリシタンになり、慶長七年頃にシャムに渡り、船とともに行方知れずのままという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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