最福寺(読み)さいふくじ

精選版 日本国語大辞典 「最福寺」の意味・読み・例文・類語

さいふく‐じ【最福寺】

京都市西京区松室の華厳(けごん)寺にあった天台宗の寺。安元二年(一一七六延朗創建。南北朝以後、たびたび戦乱舞台となり、元亀・天正年間(一五七〇‐九二)に廃絶。谷堂(たにのどう)

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日本歴史地名大系 「最福寺」の解説

最福寺
さいふくじ

大宰府に所在した最福寺または西福寺という名の寺院は以下の四ヵ寺がある。第一は奈良西大寺末寺の最福寺で明徳二年(一三九一)九月二八日付の西大寺末寺帳(西大寺文書/香川県史8 古代・中世史料八)の筑前国の項目に「宰府最福寺」、永享八年(一四三六)三月日付の西大寺末寺帳(同上)に「鎮西筑前国宰府最福寺」とある。第二に太宰府天満宮と関係のある西福寺があげられる。年月日未詳灯明方目録案(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一四)に「一同執行坊神前勤仕之灯明料所、従当府西福寺納之」とあり、同目録案差出人の法印信快を天満宮留守職大鳥居信快に比定するならば、文明(一四六九―八七)頃太宰府天満宮社家の執行坊が神前に供える灯明料を大宰府の西福寺が納入していたことになる。

最福寺
さいふくじ

[現在地名]東金市東金

ときヵ峰山麓にある。安国山と号し、単立。本尊は大曼荼羅。もと天台宗であったが、文明一一年(一四七九)に日遵により法華宗に改宗され、旧来位牌地蔵尊などは土中に埋められたと伝えられる(篠原家文書)。東金城主酒井定隆の外護を受け、上総七里法華の拠点の一つとなった。当初寺号を最福寺と称し、のち西福寺と改号されたが、昭和二〇年(一九四五)旧称に復した。天正一九年(一五九一)寺領三〇石の朱印を与えられている(寛文朱印留)

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デジタル大辞泉プラス 「最福寺」の解説

最福寺

鹿児島県鹿児島市にある寺院。山号烏帽子山。本尊は不動明王。高さ18.5メートルの木造の弁財天座像がある。長らく廃寺であった沿革不詳の寺を池口恵観が1989年に再興、実質的には新設された寺。

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