曾根城跡(読み)そねじようあと

日本歴史地名大系 「曾根城跡」の解説

曾根城跡
そねじようあと

[現在地名]大垣市曾根町

市北端の臨済宗妙心寺派華渓かけい寺は当城の本丸跡に位置し、境内は周辺地域より約一メートル高くなっており、城跡はその一帯に比定される。「美濃明細記」所収の稲葉系図によると、伊予国河野氏の末裔である稲葉一鉄は土岐氏・斎藤氏に属し、永禄七年(一五六四)より織田信長に仕え、当城を居城としている。築城は西美濃三人衆の一人稲葉一鉄といわれ、その時期は永禄初年頃と推測される。

曾根城跡
そねじようあと

[現在地名]内子町城廻

中山なかやま川とふもと川とに挟まれた楔状丘陵上、標高一七〇メートルの地点に築かれた中世の城跡。南方内山うちやま盆地一帯を展望できる形勝の地にある。本丸跡は東西九〇メートル、南北一四〇メートル、二の丸跡は周囲九〇メートル。

曾根家系図によると、天文一二年(一五四三)近江国愛知郡曾根(現滋賀県愛知郡愛東町)出自とする曾根高昌が周防国を経て、河野氏の招きにより来予、喜多郡五百木いよきに築城し、この城を拠点として曾根郷八ヵ村、広瀬ひろせ郷二ヵ村の領地五千貫文の土地を支配した。

曾根城跡
そねじようあと

[現在地名]尾鷲市曾根町

曾根浦の南にそびえる標高一六〇メートルのしろ山の山頂にある。じようの城・宇杉うすぎ城・つつじ城ともよばれる。弘治年間(一五五五―五八)近江より佐々木宇右衛門正吉(曾根弾正)が来住して築城。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android