曾村(読み)そむら

日本歴史地名大系 「曾村」の解説

曾村
そむら

[現在地名]豊玉町曾

千尋藻ちろも村の北、東海の深い曾浦に臨む。北に高瘤たかこぶ山があり、北部は三根みね(現峰町)と接し、上県郡下県郡の境界をなす。府中ふちゆう(現厳原町)から九里五町という(津島紀略)。当村は田舎いなか(岡方)和島わじまはま村の三ヵ所に分れ、浜村は海崖にあり、属村であるという(津島紀事)。上(奥地)桑原くわはらは田舎があった地とされ、その南手の丘に蒙古もうこ塚と称される古墳があった。

「郡方毎日記」寛永一五年(一六三八)条に「そ」とみえ、正保二年(一六四五)の「曾村」の物成一三〇石余のうち麦九九石余・籾四石余(二郡村々物成)


そねむら

[現在地名]鹿島町曾祢そね

小金森こがねもり村を東側から包むように位置し、西は下曾禰村(現羽咋市)、わずかに内浦街道にも臨む。集落は地獄谷じごくだに川の下流邑知おうち地溝帯中央部に散在し、東の高畠たかばたけ村より西の金丸かねまる(現鹿西町)へ通じる道が村の南を東西に通る。村名が示すように邑知潟縁辺の沼沢を開拓してできた低湿地の村落。下曾禰村とともに大永六年(一五二六)一〇月書写の気多社年貢米銭納帳(気多神社文書)にみえる「そ禰」に含まれた。また当村全域が承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に載る「長沢保」にあたると考えられる(羽咋市の→下曾禰村

曾村
ひそむら

[現在地名]岩室村樋曾

まつヶ岳の北東麓にあり、東を川が北へ流れる。東は尻引しりひき村、南は岩室村。集落は西方山沿いにあり、東の低地田地が広がる。元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録に「樋噌村」とみえ高二五五石二斗余。寛永一一年(一六三四)与板藩領となり、元禄一五年(一七〇二)幕府領、享保九年―元文五年(一七二四―四〇)まで新発田藩預所、文化一二年(一八一五)与板藩領に復した。文政三年(一八二〇)幕府領となり翌四年から弘化三年(一八四六)まで伊勢桑名藩預所、慶応元年(一八六五)会津藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android