星尾村(読み)ほしおむら

日本歴史地名大系 「星尾村」の解説

星尾村
ほしおむら

[現在地名]有田市星尾

近世保田やすだ庄五ヵ村の一で有田川南岸にある。対岸中島なかしま村、西は辻堂つじどう村、東は西にし村。なかの山脈の北西向きの斜面と有田川に挟まれた平坦地を村域とする。南方にある星山は往昔星占をした所といわれ、「続風土記」は「村名は星山の尾といふ義なるへし」といい、「ほしのお」と訓ずる。中世保田庄に含まれており、弘長二年(一二六二)四月二五日付湯浅宗業寄進(高山寺文書)に「保田内星尾」とみえる。

星尾村
ほしおむら

[現在地名]南牧村星尾

東は六車むくるま村枝郷山中やまなか、西は信濃国佐久さく内山うちやま(現長野県佐久市)、南は羽沢はざわ村と接する。近世はおおむね幕府領。寛文郷帳には「星保村」とあり、高七六石余はすべて畑方、御巣鷹山一ヵ所を記す。宝暦九年(一七五九)村明細帳(掛川文書)によると延宝六年(一六七八)検地で総反別四四町一反余、耕地はすべて畑で上畑はなく中畑が八反余、山畑と切畑で二八町五反余を占め生産性は低かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報