日裕(読み)にちゆう

朝日日本歴史人物事典 「日裕」の解説

日裕

没年:慶長11.10.6(1606.11.6)
生年:生年不詳
江戸初期の日蓮宗の僧。関東に小西檀林(学問所)の基礎を作ったことで有名。字は慧沢,通王院と号し京都立本寺第15世である。天正2(1574)年,叡山より帰洛し洛北松ケ崎に学室を構え,天台宗の教蔵院日生師事以後,師日生に随従する一方,要行院日統が下総(千葉県)飯高飯高檀林を開くやそこに学ぶ。同18年,妙道院日悟が小西檀林を開くと,日裕は招かれて開祖となる。翌19年,徳川家康より30石の朱印を受け,飯高・中村と共に関東三大檀林の基礎を固めた。慶長7(1602)年,京都立本寺の招きを受け入寺。<参考文献>日潮『本化別頭仏祖統紀』

(佐々木馨)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日裕」の解説

日裕 にちゆう

?-1606 織豊-江戸時代前期の僧。
日蓮宗。日生に師事し,下総(しもうさ)飯高(千葉県)の檀林(だんりん)などでまなぶ。天正(てんしょう)18年まねかれて上総(かずさ)(千葉県)小西檀林の開祖となり,のち京都立本寺の住持をつとめた。慶長11年10月6日死去。字(あざな)は慧沢。号は通王院。

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