日下丸村(読み)ひげまるむら

日本歴史地名大系 「日下丸村」の解説

日下丸村
ひげまるむら

[現在地名]海津町福岡ふくおか

東駒野ひがしこまの村の南、揖斐いび川左岸にある。同村枝郷で、村高などその中に含まれて記されることが多い。しかし地名そのものは東駒野より古くからみえる。弘治二年(一五五六)九月二〇日の斎藤高政安堵状(東高木文書)に鬚丸郷とあり、高政(義龍)は高木貞久に同郷など六郷を安堵している。なお同郷の名はみえないが、永禄一〇年(一五六七)一一月、貞久は織田信長より知行を安堵されている(「織田信長安堵書状」同文書)。貞久は本能寺の変の後は信雄に仕え、天正一三年(一五八五)か同一四年頃と推定される五月一八日付の治部卿法印書状(同文書)に「ひけまる」とみえ、同郷の支配をめぐって訴訟が起きているが、高木貞友が前年までは知行していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報