料紙装飾(読み)りょうしそうしょく

改訂新版 世界大百科事典 「料紙装飾」の意味・わかりやすい解説

料紙装飾 (りょうしそうしょく)

紙を書きやすく,また長く保存するための工夫は,古くから行われてきた。たとえば紙をたたいて平滑にする打紙(うちがみ)や,玉や牙で磨く瑩(けい)紙,防虫のため黄蘗(キハダ)で茶色に染める努力などである。これらからしだいに,文様を彫った版木に紙をのせ,玉や牙で磨いて光沢のある線で文様を表した蠟箋(ろうせん)あるいは蘇芳(すおう),苅安(かりやす),藍(あい)など各種各様の植物染による色紙などの装飾技法が生み出されてきた。日本では正倉院に残る文書の記述や実物に,最も古い料紙の装飾をみることができる。正倉院文書には〈色紙〉〈五色紙〉〈彩色紙〉〈赤紙〉〈黄紙〉〈縹(はなだ)紙〉〈胡桃(くるみ)紙〉〈苅安紙〉〈蘇芳紙〉などと色紙の名称があらわれている。実物では五色の麻紙を繧繝(うんげん)に重ねた色麻紙19巻が残っている。また正倉院文書に〈金薄敷縹紙(きんはくちらしのはなだかみ)〉〈金塵紫紙(きんじんむらさきのかみ)〉〈銀塵紅紙(ぎんじんくれないのかみ)〉などがみえる。〈薄(はく)〉は〈箔(はく)〉であり,〈塵(じん)〉は〈砂子(すなご)〉で,金・銀の切箔や砂子をまいた紙が作られていたことを示す。実物では緑色の紙の表にまばらに金粉をまいた〈緑金箋(りよくきんせん)〉があり,文書にみえる〈金塵緑紙〉に相当するものである。正倉院にはこのほか実物として,胡粉や黄土で雲や鳥獣を刷毛描きした〈絵紙(えがみ)〉,型紙をのせて絵具を吹きつけ(吹染(ふきぞめ)),花卉飛雲鳥蝶などを白く抜き出した〈吹絵紙〉などが保存されている。奈良時代に盛んに行われた写経の料紙としては,香木を細かく砕いて漉(す)き込んだ〈荼毘紙(だびし)〉が知られ,染紙では紫紙や紺紙が多く,この上に金泥や銀泥で経文が書写された。

 平安時代になると料紙装飾の技法は種類も豊かになり,技量は最高度に達した。用いられる紙としては,書きにくい麻紙が絶え,楮紙(こうぞがみ)(当時は穀紙といった)や雁皮紙(がんぴし)(斐紙(ひし))が用いられた。とくに紙肌が滑らかで,流麗な仮名書きに適した雁皮紙が愛用された。はじめは楮紙と雁皮紙を含めて,厚い紙を厚様(あつよう)(厚葉),薄い紙を薄様(うすよう)(薄葉)と呼んでいたものが,しだいに薄様とは雁皮紙をさすようになった。光沢が半透明な薄様は染紙にして,異なった色の薄様と重ね合わせて中間色にするなど,微妙な使い方がなされ,とくに女性の消息などに愛用された。染紙は色の染め方で,漬染(つけぞめ),引染(ひきぞめ),繊維染に大別できる。漬染は紙を染料に繰り返し漬けて染める方法で,当時の染料としては茜(あかね),紫草(むらさき),蘇芳,紅花,櫨(はぜ),梔子(くちなし),苅安,藍,黄蘗ほか多くの種類があげられる。引染は刷毛で染料の液を塗るもので,吹染もこの一種といえよう。また,あらかじめ紙をしめらせ,刷毛で一部をぼかす〈隈(くま)ぼかし〉も引染の応用例といえる。繊維染は紙の原料の繊維を染料に漬けて染め,これを漉きあげるもので,〈漉染(すきぞめ)〉などともいう。紺紙など無地の紙を漉くばかりでなく,打曇(うちぐもり)(雲紙(くもがみ)),飛雲(とびくも),羅文(紋)紙(らもんし)などの装飾紙を漉くこともできる。打曇は紙の天地や片隅に寄せて藍や紫の雲形に漉きあげる手法で,現代もなお越前紙(福井県越前市の旧今立町)に伝承されている。飛雲は料紙のところどころに,雲が浮遊するように藍と紫の繊維のかたまりが漉きあげられる手法で,平安時代特有の技法である。羅文紙は,藍や紫などの繊維が料紙の全面に織物の羅文のように,あるいは風になびく小波(さざなみ)のように漉きかけられている手法で,現代では再現不可能な洗練された技である。なお羅文の中に飛雲が加わったり,羅文の飛雲もあるので,両者の技法は近いとみられる。

 仕上がった紙を加工する装飾には〈からかみ〉や墨流し金箔,描(かき)文様,下絵継紙(つぎがみ)など数多くの技法がある。〈からかみ〉は初め中国から輸入された唐紙の意味であったが,しだいに装飾紙の技法をさすようになった。胡粉を塗った(具引き(ぐびき)した)紙に,文様を彫った版木で雲母(きら)/(きらら)を刷るものである。具引きする胡粉を赤や青に染めたり,雲母を黄に染めたり,反対に雲母を塗った紙に文様を胡粉で刷るなど,さまざまの変化も行われた。版木で空(から)刷りする蠟箋は〈からかみ〉の一種とみなすこともできる。その文様は各種の唐草七宝,波,唐花と文字(富,貴,命など)の組合せ,絵画的文様(秋草と兎,騎馬の旅人と従者など)ほかおびただしい種類がある。なお〈からかみ〉の手法に似たものに焼絵紙(やきえがみ)がある。具引きした紙に,枯木に馬などの文様を,鉄の型を熱して押したと伝えられる。しかしそれでは紙が傷んで保存されるわけがなく,なんらかの手法で,版木を用い,焼絵(画)風の効果を表したものと思われる。墨流しは水面に墨汁を落として広がらせ,その上に紙を落として写し取るもので,現代まで継承されている。古代の墨流しは紙の一部のみで余白が多く,簡素で力強い,料紙として適当なものであった。

 金箔の装飾には,大別して切箔,破箔,芒(のげ)(野毛)箔,砂子の4種がある。切箔とは正方形長方形,三角形などに切るもので,大小によって大切箔,中切箔,小切箔の区別がある。破箔は不定形に切ったもので,似たものに箔を手でもんだ〈揉箔(もみはく)〉がある。芒箔は仏画などにおける切(截)金(きりかね)の一種で,普通1cm前後の長さで,精緻なものは毛筋ほどに細い。砂子は篩(ふるい)の目を通したもので,ごく細かいものは微塵(みじん)砂子という。描文様は金銀泥や各色の顔料で鳥蝶・植物などを散らして描くもので,図柄が比較的大きく,絵画的描法のものを下絵と呼んでいる。下絵から発展したのが葦手(あしで)絵で,文字を下絵の中に隠すように配したものである。継紙とはいろいろな紙を装飾的に寄せ集めて一枚としたもので,西本願寺本〈三十六人集〉の料紙として名高い。継紙には切継ぎ,破継ぎ,重継ぎの3種がある。切継ぎは,刀で直線的に切って貼り合わせたものである。また破継ぎは手でちぎって継ぎ,重継ぎは色違いの5種類の紙(薄様)を重ねて破り,それを少しずつずらして継いだものをいう。

 平安時代以降,料紙装飾は全般に衰退してゆくが,安土桃山時代に至って中興の祖としてきわだつ存在となったのが本阿弥光悦である。みずからの書の料紙は華麗であり,また彼の協力で角倉素庵が刊行した〈嵯峨本(光悦本,角倉本)〉は,《源氏物語》などの古典や謡本を木活字で刷ったものだが,その料紙は具引きした紙に光悦の意匠した絵画的文様を雲母で刷って表している。また光悦の巻子本,色紙,短冊などの下絵は俵屋宗達が描いたといわれる。いずれも藤原文化を志向しつつ,単純,おおらかで新鮮な表現をとり,桃山文化の特色をよく発揮している。江戸時代には漉き簣に型紙を貼って,文字や模様を漉き入れたり,透かしを入れたりする技法が加えられた。現代においても襖紙や小間紙(こまがみ)(美術紙)の装飾は行われているが,料紙としての装飾は盛んとはいえない。しかし一部では仮名料紙の装飾として継紙や金箔(切箔,芒箔など)など,平安時代のすぐれた技法を復興しようとする努力がはらわれている。
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世界大百科事典(旧版)内の料紙装飾の言及

【俵屋宗達】より

…これと同工の金銀泥絵の優品に数種の光悦筆和歌巻がある。蓮,鹿,竹,梅,蔦,鶴,四季草花などを下絵とする諸作で,金銀泥を華やかな広い面として使うことにより,意匠的かつ絵画的な新しい料紙装飾の創出に成功した。金銀泥絵と近い関係にある水墨画においても,《蓮池水禽図》(京都国立博物館),《蘆雁図衝立》(醍醐寺),《雲竜図屛風》(フリア美術館),《牛図》双幅(頂妙寺)などの傑作をのこした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」