教育機会の平等(読み)きょういくきかいのびょうどう

大学事典 「教育機会の平等」の解説

教育機会の平等
きょういくきかいのびょうどう

教育機会の平等(「教育の機会等」といっても同じ)はフランス啓蒙思想のなかに登場し,公教育制度の根幹となった考え方である。日本の教育基本法にも明記され,誰もが「結果の平等」との対比において直観的に了解可能だろう。しかしながら第2次世界大戦後,OECD諸国で教育機会の開放という意味での教育の量的拡大(たとえば中等教育や高等教育への進学率上昇)が進むと,この言葉の意味はとくに高等教育に関しては必ずしも自明ではなくなり,この言葉をめぐる問題の構図も一気に複雑化した。

 第1に,さまざまな社会調査の結果から,教育の量的拡大が教育機会の等化に必ずしもつながらず,場合によっては機会の不平等を拡大することが明らかになった。教育のスタートラインにおける(つまり既存の社会における)グループ間(男女間,階級・階層間,人種間あるいは国籍保有者と非保有者間など)の不平等が,学校制度によってむしろ強化されうるという,想定外の事態が明らかになったのである。第2に,教育達成を左右する要因,たとえば生徒の学力がスタートラインの不平等たとえば家庭環境と深く結びついているため,学校の資源(施設,教育スタッフの質など)を平準化するだけでは既成の不平等の改善につながらないということも判明した。それまで教育機会の平等をめぐる議論は教育制度の枠内で行われていたから,これは議論の土俵そのものを変えるに等しかった。

 問題の転換はこれだけにとどまらない。以上の知見から,「結果の平等に寄与しない」機会の平等とはいったい何か,という問い,社会的不平等(結果の不平等)の是正に貢献できない「教育機会の平等」とは「絵に描いた餅」以上のものだろうか,という問いが生まれてきた。実際アメリカ合衆国では,1964年に制定された公民権法(アメリカ)の要請に従い,翌年,人種,皮膚の色,家庭,出身国などによる教育機会の不平等について調査した報告書(通称「コールマン報告(アメリカ)」)が刊行されると,機会の平等の徹底を求める動きは「機会の平等」から「結果の平等」へシフトする流れを生みだした。「自由な個人間の競争」の虚構性を暴き出し,機会の利用能力の不平等や,同じスタートラインに立てないグループ全体のハンディキャップを強調することを通して「結果の平等」を模索していく,アファーマティブ・アクション(アメリカ)(積極的差別是正措置(アメリカ))に象徴される動きである。

 とはいえ,合衆国のアファーマティブ・アクションにおいても,大学が特定カテゴリーの学生を一定数あるいは一定割合で機械的に入学させるという方式が正当化されたことはない。求められているのは「結果の平等」の制度化ではなく,あくまで「結果の平等」につながる「機会の平等」の定式化なのである。しかし,この目的を政策として具体化するための答えが自動的に得られるわけではないことは,アファーマティブ・アクションが合衆国でさまざまな困難に直面し,後退を余儀なくされてきたことからもわかる。教育選択や教育達成が個人(個々の家庭)の営みであるのに対して,「機会の平等」は階層や人種といったグループ単位でしか測定できないという二律背反は,そうした困難を代表するものの一つだろう。不利な立場に置かれた人々をグループ単位で助けようとする政策的企ては,自由を主張する個々人(個々の家族)の反発に直面する。このように,教育機会の平等を求める議論が「平等と自由との両立」という古くて新しい問題にあらためて直面し,公正(フェアネス)正義(ジャスティス)といった概念を軸にする議論にシフトしていったのも,「教育機会の平等」という概念が孕む曖昧さ,それを実現する社会的合意を見いだすことがいかに難しいかを示している。

 教育は一方では個人の能力という要因と切り離せず,他方でともに学び,高めあう仲間のような「社会関係資本」とも分かちがたく結びついている。そのため,「平等に分配する」ことの意味が自明であるお金のような財とパラレルな議論を「教育機会」に関しておこなうことは難しい。しかし逆の見方をすれば,「お金(教育費)に関する限り」は教育機会の平等をめぐってシンプルで明確な議論ができる,ともいえる。社会調査からは,家庭の所得格差と教育機会の格差との間に深い関連があることも明らかにされてきた。こうした研究をうけて日本でも2009(平成21)年度版『文部科学白書』では,文部科学省自身が「経済格差と教育格差の関係」を認めるに至った。家庭の経済力の格差が,たとえば大学進学率や入学できる大学のランクに影響を与えているという認識は,社会的に共有されつつある。

 そもそも,「高等教育を無償化して,能力に応じて等しく教育を受ける機会を与える」要請は,国連総会で1966年(昭和41)に採択された「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)(A規約)13条2項cに明記されている。日本は1979年にこのA規約を批准して以来,「高等教育無償化」を含めた四つの条項を長く「留保」してきたが,2012年11月にその留保を撤回したため,現在,なんらかの対応を迫られる状態になっている。

 大学進学率の上昇が私立大学定員の拡大により家計に負担を強いるかたちで実現し,高等教育に対する支出がGDPに占める割合が,OECD諸国の平の半分以下という日本の場合,教育費という角度から高等教育機会の平等を考えるアプローチは,不平等の改善にとってとくに有効だろう。大学授業料の無償化,無利子奨学金,あるいは仕送りによる家計負担を減らすための大学の地方分散が有効であることはいうまでもないが,そのための税金の投入によって大学に進学しない選択をする人に不利が生じないようにするにはどうすればいいかなど,高等教育機会の平等を経済的に実現する社会的合意を模索することが,今求められている課題の一つといえよう。
著者: 水島和則

参考文献: 苅谷剛彦『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会へ』有信堂,2001.

参考文献: 黒崎勲『教育と不平等―現代アメリカ教育制度研究』新曜社,1989.

参考文献: 宮寺晃夫編『再検討―教育機会の平等』岩波書店,2011.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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