掛村(読み)かけむら

日本歴史地名大系 「掛村」の解説

掛村
かけむら

[現在地名]伊自良村掛

竜興寺りゆうこうじ山東麓、伊自良川右岸に集落があり、同川を南に下って、左岸に分郷の大門だいもんと半ば支郷扱いの大岡おおかがある。掛と大岡の間に上願じようがん村があり、大門の南は藤倉ふじくら村、掛の北は平井ひらい村。大門山一帯には一一基の円墳を数え、勾玉・須恵器類が出土している。もと伊自良村のうちで、元禄郷帳に高二九二石余とあり、幕府領。この高には大門は含まれるが、大岡は含まれていない。文化一〇年(一八一三)の宗旨届や寺請証文(伊自良誌)には「山県郡掛ケ村」とある。明治二年(一八六九)の村明細帳には田一〇町三反余・畑一二町二反余、家数一二二・人数五三三、馬六、飛地として富山とみやま・大門・大岡・矢洞やぼらを記す。


かけひむら

[現在地名]安岐町掛樋

両子ふたご川が安岐川に合流する地域を占め、集落は東流する川の左岸の山麓に細長く位置する。東は瀬戸田せどた村、北は油留木ゆるぎ村。安岐郷懸樋かけひの遺称地。小倉藩元和人畜改帳に懸樋村とみえ、高三二七石余、家数三九、うち百姓一一、隠居・名子・下人・庭屋・へ屋・牛屋二七、人数八六、うち百姓一一・名子九、牛一五・馬四。正保郷帳では安岐郷に属し、田方二三一石余・畑方三八石で、茅山有・柴山有・新田有と注記される。天保郷帳では高四二二石余。幕末の庄屋は渡辺氏。関大神せきおおかみ社は元禄一五年(一七〇二)佐賀関大神が飛来したのを奉祀したという。

掛村
かけむら

[現在地名]岩槻市掛

本宿ほんじゆく村の北に位置し、西は掛新田に続く。村域は岩槻台地と沖積平野からなり、集落は台地上に形成されている。宝暦六年(一七五六)までは岩槻藩領、以後は幕府領。田園簿に村名がみえ、高は田方三七石余・畑方四四石余。延宝八年(一六八〇)の岩付領内村名石高家数人数寄帳(吉田家文書)によると家数一四(本百姓一三・水呑一)、人数九二。岩槻藩の地方支配は高岩たかいわ筋所属。貞享三年(一六八六)の岩槻藩領郷村高帳では高一一一石余、ほかに新田高一三石余、小物成は野銭永七四一文半、見取場田畑一町三反余。宝永期(一七〇四―一一)の岩槻藩五ヵ筋村高帳では高二二五石余、うち二九石は名主・組頭高引。

掛村
かけむら

[現在地名]曾爾村大字掛

曾爾川・山粕やまがす川合流地の渓谷村で、長野ながの村の上流に位置。永禄一一年(一五六八)の伊勢大和御用脚引付(沢氏古文書)に「一貫反 モモノマタ山カケ」とあり、慶長郷帳は「懸村」、寛永郷帳は「影村」と書く。慶長郷帳の村高は二一七・五六石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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