従軍僧(読み)じゅうぐんそう

改訂新版 世界大百科事典 「従軍僧」の意味・わかりやすい解説

従軍僧 (じゅうぐんそう)

軍旅に従う僧侶,すなわち陣僧のこと。戦陣に僧侶をともなうことは古くからあったが,とくに南北朝内乱期からこの傾向が著しくなった。後醍醐天皇につねに近侍した東寺長者の文観(もんかん),しばしば足利尊氏の軍旅に従った醍醐寺座主の賢俊はその典型である。彼らは当時一流の密教僧で,天皇や将軍に近侍して軍旅のまにまに逆徒退治,天下静謐(せいひつ)など護摩祈禱を修した。この意味では現世利益を祈念する祈禱僧である。そして他方,九州に西走する尊氏のもとに,賢俊が光厳上皇の院宣をもたらして尊氏の挙兵大義名分を与えたように,彼らは貴族出身という俗縁を生かして,軍旅にありながら戦略,政略をたてる政僧でもあった。中世の陣僧のなかで,密教僧のほかさらに活躍がめだつのは時衆(時宗)の陣僧である。彼らは〈軍勢に相伴する時衆〉といわれ,戦闘には直接参加しなかったが,身を守るため武具を身につけ,馬に乗り,武将に近侍した。そして戦場では傷ついた兵士を介抱したり,臨終にあたって最期の十念を授けたりした。合戦が終わると死者を埋葬したり,ときには武将の首級や遺品郷里にとどけたりした例もある。この点,時衆の陣僧は,西洋の軍隊で兵士の臨終の贖宥や聖体拝領のために従軍する神父とよく似た役割を果たしている。密教系の祈禱僧と異なって,時衆の陣僧は武士の臨終正念と後生菩提のために戦陣にあったのである。敵味方両陣営にいる彼らは,戦場での往来の安全をある程度保障されたらしく,戦場で使者となって両軍の交渉に当たった例もある。臨場感に満ちた中世軍記文学の成立には,時衆の陣僧が直接間接にかかわっていたのではないかという説もある。

 密教僧や時衆の陣僧に加えて,戦国期以降,禅僧の戦野での活躍もめざましい。平時戦時をとわず,つねに今川義元の帷幕(いばく)にあって,戦術,戦略,政略の面で義元の参謀をつとめた太原崇孚(たいげんすうふ)(雪斎禅師),あるいは西国毛利氏の軍営にあって,使僧として織田信長,豊臣秀吉とつねに交渉に当たった安国寺恵瓊(えけい),肥前名護屋城の秀吉の帷幕で外交文書を管領した相国寺の承兌(しようだ)などがその例である。彼らも広い意味の従軍僧であり,その卓越した知識と人脈で政僧として活躍した。近世泰平の世となって,陣僧は姿を消し,また日本の近代軍隊は従軍僧の制度をもたなかった。ただ,日清・日露戦争にあたり,本願寺などは戦時奉公の体制をとり,自発的に〈従軍布教使〉の名で僧侶を大陸の戦野に送った。彼らは野戦各級司令部,守備軍司令部,兵站(へいたん)部,野戦病院などにとどまって軍隊と行動をともにし,布教や慰問,戦死者の葬儀や弔祭,負傷者の看病などに当たった。
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