建善寺跡(読み)けんぜんじあと

日本歴史地名大系 「建善寺跡」の解説

建善寺跡
けんぜんじあと

[現在地名]那覇市首里当蔵町三丁目

首里城の東に続く上ヌ毛ういぬもうの北斜面、広徳こうとく寺の南にあった臨済宗の寺。山号霊芝山、本尊は観音菩薩。天王てんのう寺の末寺。尚泰久王が景泰年間(一四五〇―五六)創建、同七年相国そうこく寺渓隠(芥隠承琥)撰文の梵鐘があった(琉球国由来記)。首里古地図は崎山さちやま村の北東端、赤田あかた村との境に記す。住持国王使節としてたびたび薩摩へも赴いた(永正一五年九月二二日「島津忠隆書状案」島津家文書など)。しかし「琉球国由来記」によると創建から一五〇年後には荒廃、万暦三七年(一六〇九)の薩摩島津氏の侵攻後は空地となっていたが、同四七年に金武王子(尚久)と国相中城王子(「球陽」尚豊王八年条では尚文公仲城王子)が協力して再建し、前円覚えんかく住職天叟老漢に寄付して菩提寺とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報