延命寺跡(読み)えんめいじあと

日本歴史地名大系 「延命寺跡」の解説

延命寺跡
えんめいじあと

[現在地名]南郷町中村乙

目井津めいつ市街南西部の丘の麓にあり、現在寺跡には昭和四四年(一九六九)に移ってきた高野山真言宗西明さいめい寺の堂宇が建つ。寺跡墓地にある開山傑翁の墓碑銘によれば傑翁は貞和二年(一三四六)に没しており、当寺は鎌倉時代末期の創建と思われる。ただし傑翁の墓は形式からみると江戸時代に建直されたものと考えられ、開創年代については不明な点も残される。法雲山と号し(虚空蔵島にある寛保二年銘石塔の碑文)、江戸時代には楠原くすばる(現日南市)の臨済禅寺報恩ほうおん(妙心寺派)末寺であった(寛政元年妙心寺派下寺院帳など)

薩南学派の始祖桂庵玄樹が創始した桂庵点を改良、四書五経新註の和訓を大成して江戸時代の朱子学隆盛の基礎を築いた文之玄昌(南浦、弘治元年―元和六年)は、外浦とのうらに生れ、六歳のとき当寺天沢について出家、次いで龍源りゆうげん(現串間市)玄心に師事している(「日本程朱学原流」など)

延命寺跡
えんめいじあと

[現在地名]三原市高坂町真良

真良しんらの南西部にあった禅宗寺院跡。仏生山と号し、現在真良の香積こうじやく寺に安置する延命寺本尊地蔵菩薩立像の背中の銘によると、元応二年(一三二〇)正月、田坂某が浄財を投じて地蔵尊を刻み当寺を建立、応仁三年(一四六九)四月に地蔵像を修飾、天文年中(一五三二―五五)に理用禅尼が夫田坂善慶のため浄財を投じて像と殿宇を中興、寛政一一年(一七九九)村民が再興したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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