平福村(読み)ひらふくむら

日本歴史地名大系 「平福村」の解説

平福村
ひらふくむら

[現在地名]佐用町平福

宗行むねゆき村・口長谷くちながたに村の北、佐用川上流域に位置する。北部で支流いおり川が合流する。古くは低湿地帯で、冬期には田鶴が飛来し、田住たずみ村と称したという(佐用郡誌)中世には佐用川東岸の利神りかん山山頂に利神城が築かれていた。慶長五年(一六〇〇)播磨国主として姫路城に入った池田輝政は、甥由之に佐用郡二万二千石を支配させた。由之は利神城を改修し、山麓城下町を建設、美作道から分岐する因幡道を整備した。道の東西に配置された城下町は慶長一〇年に完成。道路脇には溝を掘り、佐用川から取水して飲料水・生活用水に使用した。城下町にはかみ町・中町・下町・しん町・南新町・北新町・うら町があった(「平福村絵図」田住家文書)。慶長一二年由之が備前下津井しもつい(現岡山県倉敷市)に移ったあと、同一八年備前岡山藩主池田忠継が領した。元和元年(一六一五)忠継弟の池田輝興が平福に入り、平福藩が成立。

平福村
ひらふくむら

[現在地名]岡山市平福一―二丁目・福浜町ふくはまちよう三浜町みはまちよう一―二丁目

浜田はまだ新田の南にあり、東は福島ふくしま村、西は福成ふくなり村、南は福島村・福成村。寛永元年(一六二四)の新開で(「池田家履歴略記」池田家文庫など)、貞享年中(一六八四―八八)本村となった(備陽記)。寛永備前国絵図では平福村新田とみえ、元禄郷帳(池田家文庫)では高三二一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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