末寺帳(読み)まつじちょう

世界大百科事典(旧版)内の末寺帳の言及

【本末制度】より

…このようにして中世末期までには,各宗派ともに地方的な有力寺院が中本山となって小教団を形成していた。しかるに,江戸幕府による慶長・元和の寺院法度は,末寺住職の任免権や寺号免許権などを本寺(本山)に限定し,その下知に背反すべからざることを命じ,また,1631年(寛永8)には各宗派本山に対し末寺帳の作成を命じたので,1宗派に1本山のほかはすべて末寺とされることになった。こうした体制を比較的早く成立させていたのは真宗本願寺教団であったが,法然門下の浄土宗各派,洛中二十一ヵ本山といわれた日蓮系各派,永平寺と総持寺の2本山をもつ曹洞禅,五山各派と林下諸派に分立していた臨済禅などでは,1宗派として成立するためには多くの確執があった。…

※「末寺帳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」