岩倉具視幽棲旧宅(読み)いわくらともみゆうせいきゆうたく

日本歴史地名大系 「岩倉具視幽棲旧宅」の解説

岩倉具視幽棲旧宅
いわくらともみゆうせいきゆうたく

[現在地名]左京区岩倉上蔵町

岩倉実相じつそう院の門前近くに位置。

維新の元勲と称された岩倉具視が、その主張する公武合体論が敗れて文久二年(一八六二)より五年間、幽棲した屋敷

この地は具視にとって幼時の乳里であった関係で大工藤吉の家を買受け、それに一棟を増築して蟄居。この家にあって西郷隆盛・大久保利通らと情報を交換し、王政復古の計画を練ったといわれ、維新策源地の一つでもあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「岩倉具視幽棲旧宅」の解説

いわくらともみゆうせいきゅうたく【岩倉具視幽棲旧宅】


京都府京都市左京区岩倉上蔵町にある邸宅跡。倒幕派に追われた岩倉具視が隠れ住んだ屋敷。皇女和宮の将軍家降嫁など公武合体を掲げて尽力した岩倉は、倒幕急進派から弾劾(だんがい)され、官職を辞して剃髪(ていはつ)したうえ洛中から追放され、11代前から縁のあったこの地で1863年(文久2)~1867年(慶応3)までを過ごした。「終日掃除ノ処古家ニシテ実ニ住居ナシ難シ、兎ニ角落涙ノ外ナシ」と日記に記しながらも、大久保利通(としみち)や中岡慎太郎、坂本龍馬(りょうま)など明治維新の志士たちが訪問して王政復古に向けた密議を行った場所である。「鄰雲軒(りんうんけん)」と書かれた額のある日本間の障子は当時としては珍しいガラス障子で、お手植えの松も庭にあるが全体としては粗末な家だった。2棟が続く家屋を回ると対岳(たいがく)文庫があり、現在は資料館となっている。この文庫の岩倉具視関連資料は、1011点が重要文化財に指定されている。岩倉は比叡山と対峙する岩倉村に住んでいるという意味から、自らの雅号を対岳と称していた。1932年(昭和7)に国の史跡に指定された。叡山電鉄鞍馬(くらま)線岩倉駅から京都バス「岩倉実相院」下車徒歩約2分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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