岡津村(読み)おかづむら

日本歴史地名大系 「岡津村」の解説

岡津村
おかづむら

[現在地名]戸塚区岡津町・弥生台やよいだい

東は名瀬なぜ村・上矢部かみやべ村・矢部村西北阿久和あくわ村、西南中田なかだ村、北は武蔵国都筑つづき二又川ふたまたがわ(現旭区)に接する。中央を西から東に阿久和川が流れる。大山道が上矢部村から入り、中田村に通じる。

文永七年(一二七〇)閏九月一〇日と同年一二月三日の関東裁許下知状(県史一)によると、「岡津郷」は源頼朝によって鎌倉鶴岡八幡宮の供僧給田と定められ、給田八町八反は当時の地頭甲斐為成の祖父の頃より地頭請所となり、為成は一五石で請負っていた。その後、供僧幸猷と為成の間で相論が起き九月の下知状では改めて請所が認められているが、一二月の下知状によって請所を停止し、作毛は年々の収穫量に従って百姓より、所当口米と員米は作人より幸猷のもとに直接納めるように決められた。

岡津村
おかつむら

[現在地名]掛川市岡津

領家りようけ村の西に位置する。同村からの東海道は垂木たるき川の板橋(長さ九間一尺・幅三間)を渡って当村に入るが(宿村大概帳・分間延絵図)、現在は上流に綱川つなかわ橋、下流善光寺ぜんこうじ橋が架かる。慶応四年(一八六八)の村鑑帳(加藤家文書)に「当村之義字名善光寺下と申而地窪之場所」とあり、出水のたびごとに往還田畑が浸水し、年々水腐れで難渋したと記される。文禄二年検地高目録に村名がみえ、高二二五石余。正保郷帳では田方二一六石余・畑方四二石余、掛川藩領。元禄郷帳では高二七七石余、国立史料館本元禄郷帳では幕府領。享保郷村高帳では幕府領掛川藩預地と旗本細井窪田の二家との相給。「掛川誌稿」では横須賀藩領と旗本久保田(窪田)領の相給。

岡津村
おこづむら

[現在地名]小浜市岡津

本所ほんじよ村の西に位置し、北・西は小浜湾に張出す津崎鼻つざきのはなを含んで小浜湾に面する。東・西を山に囲まれた集落南端を本所川が流れる。大飯郡に属した。慶長七年(一六〇二)六月の若狭国浦々漁師船等取調帳(桑村家文書)に「おこつ 壱艘 二人のり」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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