大飯郡(読み)おおいぐん

日本歴史地名大系 「大飯郡」の解説

大飯郡
おおいぐん

面積:一三九・三九平方キロ
大飯おおい町・高浜たかはま

県の最西端に位置し、北は若狭湾に面する。海岸線はリアス海岸で若狭湾国定公園の一部をなす。東は小浜市、南は丹波山系の枝峰で遠敷おにゆう名田庄なたしよう村・京都府綾部あやべ市、西は青葉あおば山・三国みくに岳の山嶺をもって京都府舞鶴まいづる市に接する。

郡名は「日本紀略」天長二年(八二五)七月一〇日条に「若狭国割遠敷郡大飯郡」とみえ、この時遠敷郡より分置された。「和名抄」刊本郡部は「於保伊太」、「延喜式」神名帳は「オホヒ」「ヲホヒタ」と訓ずる。当時の郡域は、現舞鶴市の一部、田井たいからその南方松尾まつのおに至る地域をも含んでいたと思われるが確定できない。なお若狭の西部にあたるため、戦国期には「にしかた」の称もあった。

〔原始〕

縄文遺跡は海岸部に分布し、大飯町大島日角浜おおしまひつはま寺内川てるちがわ遺跡は前期、同吉見よしみ浜に晩期、高浜町立石たていし・同神野こうの浦に後期の遺跡がある。弥生前期の遺跡が大飯町大島宮留みやどめ・同吉見浜にみられ、中期では高浜町小和田こわだ遺跡があげられる。古墳は大飯町佐分利さぶり川流域に集中して二〇ヵ所を数え、同町大島半島にも多く分布する。高浜町では各村々の山裾に点在するが、青郷あおのごう地区にもっとも多い。また海岸線には四世紀末から一一世紀にかけての一八ヵ所の製塩遺跡が確認されている。

〔古代〕

「和名抄」高山寺本記載の郷は大飯・佐文さぶ(刊本佐分)木津きづ阿遠あお(刊本阿桑)の四郷。同書刊本は遠敷郡にも佐文・木津・阿桑の三郷を載せるが、大飯郡に入れるべきものの重出であろう。伴信友は、天長二年の分置の際、この三郷は南北に二分され、郷域が両郡にまたがったとしている(若狭旧事考)。佐文・大飯の二郷は現大飯町の佐分利川流域、阿遠郷・木津郷は現高浜町の関屋せきや川・子生こび川流域に比定される。また「和名抄」遠敷郡に記される志麻しま郷は現大飯町の大島半島に所在比定される。

藤原宮・平城宮出土の若狭関係の木簡は三四例知られるが、約半数は当郡に関係する。中に贄に関する三例があり、いずれも青郷(阿遠郷)からのもので、鯛の鮓・鰯の・貽貝等を貢進していた。ほかはすべて調としての塩に関係する。一例を示すと「若狭国遠敷郡 佐文郷三家人石万呂戸口三家人衣呂 御調塩三斗 景雲四年九月廿九日□古万呂」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報