岡崎義恵(読み)おかざきよしえ

改訂新版 世界大百科事典 「岡崎義恵」の意味・わかりやすい解説

岡崎義恵 (おかざきよしえ)
生没年:1892-1982(明治25-昭和57)

日本文学研究者,文芸学者。高知市生れ。長く東北大教授を務める。文芸の研究が単なる文献的,書誌的,伝記的なものにとどまることを排し,文芸性そのものに迫ることをめざして,日本文芸学の樹立提唱古代から近代におよぶ壮大な研究を展開して,学界新風を呼んだ。《日本文芸学》(1935),《日本文芸の様式》(1939)など著書多く,著作集10巻も刊行されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡崎義恵」の意味・わかりやすい解説

岡崎義恵
おかざきよしえ
(1892―1982)

国文学者。高知市生まれ。東京帝国大学国文科卒業。1923年(大正12)東北帝国大学助教授、27年(昭和2)同教授。55年退職、同年から59年まで共立女子大学教授。65年日本学士院会員となる。国学以来の国文学の雑学性を排し、日本文芸の様式論的研究の方法を追究して日本文芸学を提唱、その体系化に専念した。『日本文芸学』(1935)をはじめとする多数著述が『岡崎義恵著作集』全10冊(1959~62)、『岡崎義恵著作選』全7冊(1968~71)、『岡崎義恵著作選集』全5冊(1973~74)に総収されている。

秋山 虔]

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百科事典マイペディア 「岡崎義恵」の意味・わかりやすい解説

岡崎義恵【おかざきよしえ】

国文学者,文芸学者。高知県生れ。東京大学大学院中退。東北大学名誉教授。1934年,美学を基礎とする様式論的研究を企図して,日本文芸学の樹立を提唱,文献学的研究を主とする国文学界,また文壇に大きな反響をまきおこした。1939年《日本文芸の様式》で北村透谷文学賞を受賞。1949年には日本文芸研究会を創立会長となる。著書に《森鴎外の芸術観》《日本文芸学》《日本文芸と世界文芸》など。《岡崎義恵著作集》全10巻がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡崎義恵」の解説

岡崎義恵 おかざき-よしえ

1892-1982 大正-昭和時代の国文学者。
明治25年12月27日生まれ。昭和2年東北帝大教授。大塚保治影響をうけ,日本文芸学を提唱。24年日本文芸研究会を創立。30年共立女子大教授。学士院会員。昭和57年8月6日死去。89歳。高知県出身。東京帝大卒。著作に「日本文芸学」「日本文芸の様式」「美の伝統」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡崎義恵」の意味・わかりやすい解説

岡崎義恵
おかざきよしえ

[生]1892.12.27. 高知
[没]1982.8.6. 浦和
国文学者。 1917年東京大学国文学科卒業。 1927年東北大学教授,1955年名誉教授。日本文芸学を樹立。文学博士,日本学士院会員。主著『日本文芸学』 (1935) ,『日本文芸の様式』 (1939) 。

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世界大百科事典(旧版)内の岡崎義恵の言及

【日本文学】より

…昭和期にはもうひとつの国文学内部からの批判的動向がみられる。岡崎義恵《日本文芸学》(1935)の提唱は,文献学・書誌学偏重の国文学に対し,日本文芸そのものを学的対象とすることで文学研究の自立をめざしていた。ただその審美的範疇論というべき方法に,日本文学の多彩な総体を把ええない偏狭さが含まれていたことが否定できない。…

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