朝日日本歴史人物事典 「山県勇三郎」の解説
山県勇三郎
生年:万延1(1860)
明治初期,開拓期北海道の実業家。のちブラジルでも活躍。セシル・ローズを範とした国士的風雲児。平戸藩勘定奉行の子。21歳で根室へ行き,海産物商で力をつけ,鰊の相場で一拳に財を築く。漁業,海運業,牧場経営,鉱山業,木材工業へと事業を拡張,山県商店は全国に支店を置いた。根室実習学校,『小樽日報』『根室毎日新聞』を創設経営した。日露戦争では無報酬で兵站輸送をなし,冬期には木炭を買い占めて戦地に送った。戦時の無理から財政危機に陥ったとき,残務を兄弟に任せて明治41(1908)年ブラジルへ移住。リオ州マカエに5000町歩(約4958ha)を購入,米作,酒造業から始めて漁業に進出,塩田をも経営した。ささやかだがブラジル初の水産学校を創設。造船業・大学開設を企てたが挫折した。日本の躍進には海外への企業進出が不可欠だとする信念を生涯貫いた。豪放磊落で,コーヒー農場労働者主体の若い日本移民に多大の感化を与えた。<参考文献>江田霞『山県勇三郎』
(前山隆)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報