小柳津村(読み)おやいづむら

日本歴史地名大系 「小柳津村」の解説

小柳津村
おやいづむら

[現在地名]焼津市小柳津

堀之内ほりのうち村・柳新屋やなぎあらや村の南に位置し、西は高柳たかやなぎ(現藤枝市)。平安時代後期に成立した小楊津おやいづ御厨の遺称地とされ、同御厨が消滅した後、かつて御厨であった地域が小柳津とよばれるようになったと推定される。「為和集」によれば、駿府在国の冷泉為和は天文二年(一五三三)八月一三日の月次家会での歌の次に、知行分である小柳津などの返還を今川氏親と約束したが、子の氏輝の代になっても実現していないと嘆いている。また同四年二月一三日の家会の歌の後にも同様のことを記している。為和知行分の小柳津は今川氏被官の武士の所領となっていたらしく、同五年一一月三日今川義元は花蔵の乱における戦功を賞し、岡部親綱に「小柳津真金名斎藤四郎衛門分」を宛行っている(「今川義元判物写」土佐国蠧簡集残篇)

小柳津村
こやないづむら

[現在地名]柳津町大柳おおりゆう

柳津村の南東山中にあり、東は山を越えて大野おおの新田村、南は山を越えて大野村。大柳川(繋川)北西流する。「新編会津風土記」に「大同年中柳津村虚空蔵堂を造営せし時、此地に小屋を構て工匠の居所とす」とあり、柳津に対して小柳津と名付けたという。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高三二石余。寛文五年(一六六五)の「稲河領牛沢組郷村万改帳」では本田高三二石余・新田高三斗余、免四ツ八分八厘、家数五、竈五、男一七・女一〇、馬三で、小物成に綿役・糠藁・足前・山役・松葉サライがあり、ほかに役漆木二二一本・役蝋四貫六四一匁がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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