小松川村(読み)こまつかわむら

日本歴史地名大系 「小松川村」の解説

小松川村
こまつかわむら

[現在地名]下郷町合川あいかわ

中妻なかづま村・てら村の南、阿賀川支流観音かんのん川右岸の河岸段丘上に立地。白岩しらいわ村から大窪おおくぼ沢入さわいり両村を経て、水門みつかど村に通じる道がある。南山御蔵入領松川組に属する。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」では九九布こうぶ郷に属する。元禄八年(一六九五)の小松川五ヶ村差出帳(下郷町史資料集)に村名がみえ、元和九年(一六二三)の検地高一二七石余、反別田五町五反余・畑一五町七反余、家数二二・人数一二五、馬三七。宝暦八年(一七五八)の家数二二・人数一一六、馬一八(「会津郡大沼郡人別牛馬改帳」阿久津家文書)

小松川村
こまつかわむら

[現在地名]山内村小松川

黒沢くろさわ川の下流にあり、東に黒沢村、北に大松川おおまつかわ村、南に山を隔てていかだ村が隣接する。横手町からあさひ(現横手川)・黒沢川に沿って走る街道は尾根沿いに白木しろき峠へと続く。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に、大松川の内小松川村とある。享保一四年(一七二九)の平鹿郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)によれば、近世前期には大松川村にまとめて記されたが、黒印高は小松川村として示されていたという。宝永二年(一七〇五)の平鹿郡村々御黒印高帳(秋田県庁蔵)に当高三一石一升一合とあり、本田の免は四ツ八歩、新田の免は四ツ八歩、三ツ八歩、三ツとあり、新田高が村高の七〇パーセントを占めている。

小松川村
こまつがわむら

[現在地名]吉川町小松川

皿沼さらぬま村の西方中井なかい村の南に位置し、村の東西大場おおば川が流れる。元禄年中改定図(風土記稿)に「中井村ノ内小松川村」とみえる。天保郷帳に村名がみえ、高五七石余。化政期の家数一〇(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報