対日講和ソ連案(読み)たいにちこうわソれんあん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「対日講和ソ連案」の意味・わかりやすい解説

対日講和ソ連案
たいにちこうわソれんあん

1951年9月5日サンフランシスコ講和会議の席上,ソ連全権 A.グロムイコが,アメリカとイギリスが提案した対日講和条約は新たな戦争を招くものだと非難し,対案として提出したソ連側講和案。他の連合国はこれを黙殺した。内容は,満州,台湾,澎湖諸島の中国帰属および南樺太,千島のソ連帰属,琉球小笠原の日本帰属,外国軍隊の日本駐屯否認,中国などを含む賠償会議の開催,日本の軍備制限,日本の原子力兵器などによる装備の禁止,宗谷根室津軽,対馬各海峡の非武装化など 13項目が盛込まれていた。

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