富田・下富田(読み)とんだ・しもとんだ

日本歴史地名大系 「富田・下富田」の解説

富田・下富田
とんだ・しもとんだ

安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(山科家古文書)に「日向国富」とみえ、富は富田のこととみられる。後世作為を含むとみられるが、建久元年(一一九〇)伊東(工藤)祐経は富田庄八〇町を源頼朝から安堵され、祐経・祐時・祐重・祐安と継承されて国富くどみ庄内二一郷を構成したという(日向記)。この富田庄は建久図田帳にみえる工藤祐経が知行する宇佐宮領富田八〇町に関連してとらえられているが、図田帳の富田八〇町は臼杵郡内にあり、現日向市日知屋ひちや細島ほそしま付近に比定される。同図田帳にはほかに八条女院領国富庄の一円庄として児湯郡下富田一三〇町がみえ、地頭は日向の在国司などを勤めた土持信綱(宣綱)であった。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)によると、国富庄は歓喜光かんきこう(現京都市左京区)領となっており、昭慶門院に伝領されていた。うち富田郷の預所職は高階氏で、国富庄の預所高階泰継に連なる人物とみられる。正和三年(一三一四)一二月日の日向国富田郷雑掌申状写および翌四年七月日の藤夜叉丸雑掌申状写(ともに「吉続御記裏書」所収文書)によれば、国富庄の領家であった常住院准后道昭から所職を継承したとみられる宮内卿法印厳性は、富田郷の預所職を延慶元年(一三〇八)から正和元年の五年間にわたって質入れしていたが、藤夜叉丸はこの間の証拠として大炊御門三位家から譲状を得ており、これを証拠に訴訟に及んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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