高階氏(読み)たかしなうじ

改訂新版 世界大百科事典 「高階氏」の意味・わかりやすい解説

高階氏 (たかしなうじ)

天武天皇皇子高市皇子(たけちのみこ)より出た氏族奈良時代から平安時代前期にかけて,同皇子の子孫は高階真人の姓を賜ったものが多いが,そのうちとくに永く栄えたのは,846年(承和13)賜姓降下した峯緒の後である。平安中期,峯緒の4世孫成忠の女貴子きし)が関白藤原道隆に嫁して内大臣伊周や一条天皇皇后定子を生み,いわゆる中関白家の全盛期を迎えるに及び,一門大いに繁栄し,成忠は従二位に昇り,朝臣の姓を賜った。その後も藤原道長の近臣業遠,白河院の近臣為章,後白河院の近臣泰経らの権勢家を輩出し,南北朝時代まで公卿に昇るものが絶えなかった。かの藤原通憲入道信西も一時は高階氏の養子となり,養家の姓を称して朝廷に出仕している。後白河院の寵妃として有名な丹後局高階栄子一族の出身である。また後世略して高(こう)氏を称したものもあり,足利尊氏の執事高師直とその一族はとくに有名である。
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百科事典マイペディア 「高階氏」の意味・わかりやすい解説

高階氏【たかしなうじ】

天武天皇の皇子高市(たけち)皇子の後裔。摂関家との姻戚関係で繁栄し,一族から多くの公卿を輩出。院政期には院の近臣として権勢をふるった。後白河院に近侍した藤原通憲(信西),同院の寵姫丹後局(たんごのつぼね)高階栄子も一族出身。後世略して高(こう)氏を称したものもあり,高師直が著名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高階氏」の意味・わかりやすい解説

高階氏
たかしなうじ

天武(てんむ)天皇の皇子高市皇子(たけちのおうじ)から出た氏族。奈良時代から平安前期にかけて、同皇子の子孫は多く高階真人(たかしなのまひと)の姓を賜ったが、そのうちとくに栄えたのは、皇子の5世孫峯緒(みねお)の後裔(こうえい)である。平安中期、峯緒の4世孫成忠(なりただ)の女(むすめ)貴子が関白(かんぱく)藤原道隆(ふじわらのみちたか)に嫁して内大臣伊周(これちか)や皇后定子(ていし)を生んでから一門大いに繁栄し、成忠は従二位(じゅにい)に上り、朝臣(あそん)の姓を賜った。その後も藤原道長(みちなが)の近臣業遠(なりとお)、白河院(しらかわいん)の近臣為章(ためあきら)、後白河院(ごしらかわいん)の近臣泰経(やすつね)らの権勢家を輩出し、南北朝時代まで公卿(くぎょう)に上る者が絶えなかった。後白河院の寵妃(ちょうひ)として有名な丹後局(たんごのつぼね)栄子(えいし)も一族の出である。また略して高(こう)氏を称した者もあり、足利尊氏(あしかがたかうじ)の執事高師直(こうのもろなお)とその一族はとくに有名である。

橋本義彦


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高階氏」の意味・わかりやすい解説

高階氏
たかしなうじ

天武天皇の皇子高市 (たけち) 親王の子孫。奈良,平安時代に高階真人の姓を与えられた。親王の孫桑田王系統が後世最も栄え,その後裔である成忠は一条天皇の皇后定子の外祖父として従二位に上り,姓を朝臣に改められ,その子孫には諸省の卿や国守になる者が多かった。のち省略して高 (こう) と称した家もある。

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