宮崎松記(読み)みやざきまつき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮崎松記」の意味・わかりやすい解説

宮崎松記
みやざきまつき

[生]1900.1.10. 八代
[没]1972.6.14. ニューデリー空港付近
ハンセン病 (らい) 専門医。 1924年京都大学卒業。ハンセン病患者のために熊本市に建てられた国立の療養所「菊池恵楓園」の園長退官後,59年 12月インドのハンセン病患者の実態視察,250万人といわれる同国ハンセン病患者の救済を決意して,アジア救らい協会の設立に奔走。 65年 12月ニューデリーの近く,タージマハールのあるアグラ市に,インド救らいセンターを完成,所長として赴任し,診療にあたった。「インド救らいの父」「日本のシュバイツァー」と呼ばれた。東京で開かれた協会理事会に参加して帰任途中,飛行機事故で死亡。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎松記」の解説

宮崎松記 みやざき-まつき

1900-1972 昭和時代医師
明治33年1月10日生まれ。国立療養所菊池恵楓(けいふう)園の園長としてハンセン病患者の治療にあたる。退職後インドで活動,昭和40年財団法人アジア救ライ協会インド・センターの初代院長となる。44年日本医師会最高優功賞。ニューデリーの航空機事故で昭和47年6月14日死去。72歳。熊本県出身。京都帝大卒。著作に「ぼだい樹の木蔭で」。

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