宝珠寺(読み)ほうじゆじ

日本歴史地名大系 「宝珠寺」の解説

宝珠寺
ほうじゆじ

[現在地名]伊予市上吾川

上吾川の谷上かみあがわのたがみ(四五五・五メートル)にあって西方に松山平野伊予灘を望み、眺望よく、景勝地としても知られる。頂上より五〇メートル下に寺院がある。山号は谷上山慈悲院。真言宗智山派、本尊は千手観音。開基は天武天皇の頃国司越智有興が霊夢を感じて寺院を創建したという。

寺領について「大洲旧記」に次のようにある。

<資料は省略されています>

平安末期、真言宗大覚寺派に属して六〇余の末寺を有し地方巨刹の本寺として全盛を極めたが、江戸時代末、天保(一八三〇―四四)の頃は一五の末寺を有する中本山となり、なお地方真言宗の権威であった。

宝珠寺
ほうじゆじ

[現在地名]香北町吉野

吉野よしの集落の南西、見晴しのよい山地突端の丘陵上に本堂の地蔵堂と僧坊が建つ。光明山地蔵院と号し、真言宗智山派。近世は五台山竹林ちくりん(現高知市)末。現在の場所、字寺の丸てらのまるには戦国時代末期吉野城主だった野中氏の菩提寺願成がんじよう寺があり、野中氏の没落により退転した跡へ明暦元年(一六五五)西の坊にしのぼうより光徳こうとく寺が移転。願成寺の地蔵堂を引継ぎ、明和年間(一七六四―七二)に宝珠寺と改めたという。

天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳には寺中四〇代・寺ノ前一反三〇代の光徳寺扣、「願成寺外にしかけて」一反四〇代などの記載があり、ほかに宝林寺扣もみえる。記載順序から三寺院が隣り合せて存在したと思われる。

宝珠寺
ほうしゆじ

[現在地名]上野原町西原

西原さいはらのうちはらにある。南鏡山と号し、臨済宗建長寺派。本尊は大日如来。「甲斐国志」によると、かつては真言宗の古刹であったが、梅叟が住持のとき臨済禅寺に改め覚海(肯山聞悟)勧請開山に招き、梅叟自身は二世の法嗣となり、鎌倉建長寺の末刹となったとされるが、創立の年代は不詳。覚海は建長寺開山大覚(蘭渓道隆)の上足弟子四派の一人であったとされ、小菅こすげ宝生ほうしよう寺の開山にもなっている。ちなみに「甲斐国志」の同寺項目では建長寺一八世と伝えている。この覚海と野田尻のたじり西光さいこう寺開山知覚(桑田道海)により都留郡北部地区に建長寺派の基が築かれ、以後同寺直末・孫末を含めた同派の寺院は現上野原町内では寺院全体の過半を占めるまでに拡張している(上野原町誌)

宝珠寺
ほうじゆじ

[現在地名]磐田市豊島

豊島とよしま地区南西にある。瑞龍山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は延命地蔵地蔵菩薩・虚空蔵菩薩・釈迦如来の三像を安置する。寺伝によれば観応元年(一三五〇)、龍山により開創され、定巌により中興された。定巌から一二代まで臨済宗円覚寺派に属していたが、室町時代末に臨済宗妙心寺派に転じたという。天正一八年(一五九〇)一二月二六日、「岡田郷宝珠寺」は豊臣秀吉朱印状(宝珠寺文書)により、寺領三二石九斗五升が安堵され、その内訳は常住分二〇石・智雲斎分六石九斗五升・桂峰院分六石であった。慶長七年(一六〇二)一二月、徳川家康は秀吉の安堵状と全く同じ内容の寄進状(同文書)を発給し、同八年九月にも寺領三二石余を安堵する家康の朱印状(同文書)が当寺に与えられた。

宝珠寺
ほうじゆじ

[現在地名]観音寺市高屋町 天王

七宝しつぽう山麓にある。七宝山護国院と号し、本尊阿弥陀如来、真言宗大覚寺派。寺伝によれば天平年間(七二九―七四九)行基が当地にとどまり、自ら一刀三礼の本尊阿弥陀如来を彫刻し一宇を建立したのに始まり、弘仁年間(八一〇―八二四)嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が七堂伽藍を建立し、行基の残した仏像を本尊として如意宝珠をおさめ、国家安全万民豊楽の祈願所と定めたという。「西讃府志」によれば豊田とよたひめ新庄赤岡の長福しんじようあかおかのちようふく(現三豊郡大野原町)の卜然が応永七年(一四〇〇)復興したが、天正七年(一五七九)長宗我部勢の兵火により灰燼に帰した。

宝珠寺
ほうじゆじ

[現在地名]赤堀町今井

かす川右岸、赤堀城跡西方の低平な台地にある。如意山と号し、曹洞宗。本尊は観世音菩薩。藤原秀郷の開基で、もと臨済宗と伝える。縁起によれば慶長五年(一六〇〇)秀郷の末裔赤堀藤繁が中興開基、前橋長昌ちようしよう寺五世揚山永播が開山し、以降曹洞宗になったという。以前の寺域は、現寺域の東北一〇〇メートル、粕川右岸段丘上(通称寺山)にあったといわれ、平安時代中―末期と推定される石製有蓋蔵骨器、瓦塔断片二個、五輪塔残欠数個が出土。

宝珠寺
ほうしゆじ

[現在地名]本庄市牧西

利根川南岸の沖積低地の自然堤防上、主要地方道本庄―妻沼めぬま線の北に位置する。延命山地蔵院と号し、真言宗豊山派。本尊は地蔵菩薩。中世の児玉党本庄氏(牧西氏・四方田氏)一族ゆかりの寺院とも推察されるが、草創については不明。

慶安二年(一六四九)徳川家光から朱印一〇石を与えられた(宝珠寺文書)

宝珠寺
ほうしゆじ

[現在地名]碧南市音羽町

海徳かいとく寺に隣してその北東に位置する。金竜山と号し、曹洞宗。本尊は僧形の阿弥陀如来。この地はもと長田半右衛門尉重元の居住地であったが、天文一二年(一五四三)黙空芳闇を開基として重元が建立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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