香美郡(読み)かみぐん

日本歴史地名大系 「香美郡」の解説

香美郡
かみぐん

面積:六六〇・一〇平方キロ
物部ものべ村・香北かほく町・夜須やす町・香我美かがみ町・赤岡あかおか町・吉川よしかわ村・野市のいち町・土佐山田とさやまだ

高知県の東部、南西流する物部川を中心に郡域は北東から南西に細長い。南東は安芸市および安芸郡芸西げいせい村に、西は長岡郡および南国市に、北東は徳島県那賀なか木頭きとう村および同県三好みよし東祖谷山ひがしいややま村に接し、南西は土佐湾に臨む。北部をつるぎ山系が北東から南西に走り、その東端から槙山まきやま川が、北東部から上韮生かみにろう川が山間を縫ってともに南西に流れ、物部村大栃おおどちで合流、物部川となって南西、さらに南へと流れ、下流に香長かちよう平野を形成する。東部の安芸山地は支脈を形成し、低い山地となって南に走り、ほぼ東部の郡界をなす。この安芸山地南西部より夜須川・香宗こうそう川が南流して流域の平野部を灌漑しつつ土佐湾に注いでいる。

郡域を三分すれば、北部は物部村と香北町・香我美町の北部、中部は土佐山田町と香北町南部・夜須町北部・香我美町中部、南部は残りの夜須町と香我美町の南部、および赤岡・吉川・野市の三町村ということになろう。北部の奥地は一〇〇〇メートルを超す山々が連なり、林産物を産する山村。中部の河岸段丘の発達した地域は良米の産地である。南部の香長平野は物部川右岸地区が南国市に合併し郡内の村は減少したが、それでも香長平野の約半分は残り、米の二期作(最近はあまりみられなくなった)や促成農業、煙草の栽培が盛んで、香我美町山北やまぎたを中心とする香南こうなん地方は蜜柑の栽培が行われ、多方面に出荷される。郡北西部の土佐山田町北部は、南国市より長岡郡大豊おおとよ町へ抜ける国道三二号が通じ、また国鉄土讃本線も走り、郡西の主要幹線となる。南部は土佐山田町から物部川に沿って国道一九五号が北東に進み、徳島県に抜け、最南端は高知市から東行し、赤岡町で海岸に出て室戸市に向かう国道五五号が走る。ともに重要な観光・産業道路であるが、近年その間を相互に連絡する新道が開発され、南部の交通網は充実した。

郡名は「日本後紀」延暦二四年(八〇五)五月一〇日条に「土左国香美郡」とみえるが、香美は「加々美」と読ませている(和名抄)。訓により「香我美」と書く場合もあるが、古くは香美と書き、中世・近世は香美・香我美を混用、明治四年(一八七一)「香美」と記し訓も「かみ」と定められた。前述の「日本後紀」は香美郡少領外従六位上物部鏡連家主が「撫育有方、公勤匪怠」であるとして「爵二級」を授けられたことを記しているが、「類聚国史(人部)大同五年(八一〇)正月二一日条には「土佐国香美郡人物部文連全敷女授少初位上、免戸田租、以終身、標其門閭、以旌節行也、全敷女同郡物部鏡連家主之妻也、夫亡之後、哭不声、哀感行路」とあり、香美郡司の善政とその妻の貞節が伝えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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