安徳城跡(読み)あんとくじようあと

日本歴史地名大系 「安徳城跡」の解説

安徳城跡
あんとくじようあと

[現在地名]島原市北安徳町

戦国期にみえる城の跡。永禄年間(一五五八―七〇)に安徳直治、天正年間(一五七三―九二)には同純俊が在城していたとされる。天正年間肥前全域を押えようとする龍造寺氏と、その勢力拡大をよしとしない有馬氏および島津氏との戦線が広がるなか、「安徳ノ城主」は深江安富氏とともに龍造寺氏に付いていたため(島津家記)、その居城を島津氏の軍勢に激しく攻撃された。天正一〇年島津義弘は有馬ありまに在陣する川上久隅らに対して深江ふかえ(現深江町)および「安徳」を攻め破るか、安富左兵衛尉(有馬の家老、晴信の伯叔父)を懐柔することを指示しており(「上井覚兼日記」同年一二月二日条)、同一一年五月六日には「安徳城」が陥落、安徳氏は安富氏とともに有馬・島津側に奉公を申出たので、番衆・地下衆が派遣された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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