精選版 日本国語大辞典 「龍造寺隆信」の意味・読み・例文・類語
りゅうぞうじ‐たかのぶ【龍造寺隆信】
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戦国時代の武将。父は龍造寺氏の支流水ヶ江家の周家(ちかいえ)。母は村中龍造寺家出身の慶誾(けいぎん)。7歳で宝林院(佐賀市鬼丸町)に出家し中納言(ちゅうなごん)円月と称した。還俗(げんぞく)して水ヶ江家を相続、民部大輔(だいぶ)隆胤(たかたね)と名のる。ついで惣領(そうりょう)家村中龍造寺胤栄(たねみつ)が病死したため、胤信(たねのぶ)(隆胤を改名)が村中家の家督をも継承した。1550年(天文19)少弐(しょうに)氏に対抗して大内義隆(よしたか)と通じ、偏諱(へんき)を受け山城守(やましろのかみ)隆信と改名。翌年家臣らの陰謀で一時筑後(ちくご)に逃れたが、旧好の国人(こくじん)や河副(かわぞえ)荘(佐賀市川副町)の地侍(じざむらい)層の援助で、53年佐嘉(さが)城を奪回した。59年(永禄2)に少弐冬尚(ふゆひさ)(時尚(ときひさ))を破り肥前に勢力を伸ばした。70年(元亀1)肥前に侵攻した大友宗麟(そうりん)の軍勢を退却させ、その余勢で松浦(まつら)党の国人(こくじん)を討つ一方、78年(天正6)有馬鎮貴(しげたか)(晴信(はるのぶ))と和議し肥前一国をほぼ平定した。その後筑後(ちくご)、翌年には筑前(ちくぜん)、豊前(ぶぜん)へと攻略、領国を拡大した。81年島津氏の肥前侵攻に有馬氏が盟約を破り呼応したため、84年島津・有馬の連合軍と沖田畷(おきたなわて)(長崎県島原市)に戦う。形勢不利のうちに伏兵にあい自刃した。
[太田順三]
『川副博著『龍造寺隆信』(1968・新人物往来社)』
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