有馬(読み)アリマ

デジタル大辞泉 「有馬」の意味・読み・例文・類語

ありま【有馬】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「有馬」姓の人物
有馬晴信ありまはるのぶ
有馬頼義ありまよりちか
有馬頼寧ありまよりやす

ありま【有馬】[地名]

神戸市北区の地名六甲山北麓の温泉地。

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精選版 日本国語大辞典 「有馬」の意味・読み・例文・類語

ありま【有馬】

[一] 神戸市北区の温泉町。六甲山の北面、古くから知られた山紫水明の地。温泉は含鉄類塩泉で、リウマチ婦人病にきくといわれる。
浮世草子・好色一代男(1682)三「此徒津の国有馬(アリマ)の湯女(ゆな)に替る所なし」
[二] 兵庫県南東部にあった郡。昭和二二年(一九四七)以降、神戸・西宮の両市に順次編入され、同三三年三田市の成立により消滅。〔二十巻本和名抄(934頃)〕

ありま【有馬】

姓氏の一つ

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日本歴史地名大系 「有馬」の解説

有馬
ありま

六甲ろつこう山地の北斜面、有馬川源流域の地名。古く有間・在間とも書き、摂津国有馬郡南東隅に位置するが、「和名抄」に有馬の郷名はなく、この地域は春木はるき郷に属したと考えられている。「日本書紀」舒明天皇三年九月一九日条に「津国の有間温湯に幸す」とあるように古代以来の温泉地で、鎌倉時代頃より湯山ゆのやま(「明月記」元久二年閏七月八日条)ともいわれるようになる。「万葉集」巻七の雑歌に「しなが鳥猪名野を来れば有間山夕霧立ちぬ宿は無くて」があり、有馬温泉へは猪名野いなの(現伊丹市一帯)から武庫むこ川を渡り、船坂ふなさか(現西宮市)で入る道筋が古くから利用された。中世末期には山陽道の裏道として温泉から西へ播磨三木方面にまで延びるいわゆる有馬街道として整備される。

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改訂新版 世界大百科事典 「有馬」の意味・わかりやすい解説

有馬[温泉] (ありま)

兵庫県神戸市東部,北区有馬町にある温泉。六甲山地の北斜面,標高370mの泉源を中心に発達した温泉郷で,神戸の都心から10kmの距離にある。三方を山にかこまれ,有馬川の清流が涼を呼ぶ山紫水明の地で,大阪,神戸の奥座敷として親しまれている。泉質鉄分の多い強食塩泉(金泉)が主で,ほかに炭酸泉(銀泉),ラジウム泉の3地区,36の泉源がある。有馬温泉は永らく湯量不足に悩み,旅館に内湯がなかったが,1947年神戸市への編入後,市の努力で泉温90℃以上の高熱泉(金泉)の開発に成功した。有馬は東の草津,西の道後と並んで古い歴史をもつ温泉で,《日本書紀》舒明3年(631)9月の条に天皇入湯の記事がある。8世紀には僧行基が温泉寺を建立,12世紀末には吉野の僧仁西が湯治客のために12の宿坊を開いた。坊の名のつく旅館が多いのが特色であるが,その起りはこれに由来するという。16世紀末の大火や地震で一時衰微するが,豊臣秀吉が修築再興して繁栄の基礎を築き,文化・文政期(1804-30)には有馬千軒と称されるほどにぎわった。湯治の合間に茶会をたびたび催した秀吉をしのんで,毎年11月に大茶会が開かれる。今日では高層化した建物が多く昔日のおもかげは失われたが,ホテル,旅館のほか保養所,寮などが多い。神戸電鉄六甲有馬ロープウェーなどのほか,神戸市内からの六甲または新神戸トンネルをぬける道,大阪からの中国自動車道もある。
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世界大百科事典(旧版)内の有馬の言及

【温泉】より

…日本列島の高温泉の分布は第四紀火山帯とよく一致する。なお,新第三紀の火山活動に関係ある紀伊半島の白浜,勝浦,兵庫県の有馬などのような温泉も多い。四国道後温泉の熱源となる火成岩体はさらに古く,白亜紀の花コウ岩であるといわれている。…

※「有馬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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