安富氏(読み)やすとみうじ

世界大百科事典(旧版)内の安富氏の言及

【讃岐国】より

…細川氏の治下,守護所は宇多津(うたつ)(現,綾歌郡宇多津町)におかれ,このほか細川氏は多度津(現,仲多度郡多度津町)を掌握し,さらに15世紀前半ころには備中,備後,東予を結ぶ要衝仁尾浦(におうら)(現,三豊郡仁尾町)を守護直領に編入するなど,内海交通の要所をおさえ積極的な分国経営を展開した。これ以前,香川郡が東西2郡,阿野郡が南北2郡に分かれ,讃岐国は計13郡となっていたが,このうち東7郡と小豆島は安富(やすとみ)氏が,西6郡は香川氏が守護代として支配を行っていた。安富氏の主城は寒川郡の雨滝(あめたき)城,香川氏の主城は多度郡の天霧(あまぎり)城であり,このほか有力国人香西(こうさい)氏の居城として香西郡の勝賀(かつが)城が名高い。…

【新見荘】より

…しかし年貢の取立てのきびしい祐清に不満をもった一部の百姓は,63年これを殺害する事件もおこった。応仁の乱に際しては,安富氏その他の武士が入部を企てたので,百姓たちは67年(応仁1)から69年(文明1)にいたる間,たびたび寄合を開いて,東寺以外は領主には仰がないことを決議して武士の支配に抵抗した。これを備中の土一揆という。…

※「安富氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」