宇陀松山城跡(読み)うだまつやまじょうあと

国指定史跡ガイド 「宇陀松山城跡」の解説

うだまつやまじょうあと【宇陀松山城跡】


奈良県宇陀市大宇陀の奈良盆地南東の山間部にある城跡中世に秋山氏が城を整備するが、1585年(天正13)、豊臣秀長の入部により秋山氏が退去した後、豊臣家配下の大名により大規模に改修され、城下町も大規模に整備された。城跡は標高約470mの古城山にあり、中央に天守本丸が東西に並び、その周囲を帯郭が囲む。本丸には本丸御殿が確認され、本丸の周囲は石垣に沿って瓦葺きの多門櫓(やぐら)が囲む。発掘では各種の瓦類や陶磁器類が出土しており、城内の建物や生活の様子を知ることができる。高石垣と複雑な構造の虎口をもち、礎石建ち瓦葺き建物を配するなど、いわゆる近世初期城郭の特徴をそなえている。1615年(元和1)には小堀遠州(こぼりえんしゅう)により、天守・本丸・帯郭の全域が破却されたが、門・櫓・御殿の解体・撤去、石垣・石段・礎石の破壊の様子が明瞭に観察され、関連書状も残されていることから、城割りの具体的状況が把握できる希有な事例とされている。また、秋山氏の時代遺構周辺で確認されており、中世から近世にかけての宇陀地方の中核的な城郭と城下のあり方を知るうえで欠くことのできない重要な遺跡として、2006年(平成18)に国の史跡に指定された。近畿日本鉄道大阪線榛原駅から奈良交通バス「大宇陀」下車、登山口まで徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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