妙円寺(読み)みようえんじ

日本歴史地名大系 「妙円寺」の解説

妙円寺
みようえんじ

[現在地名]伊集院町徳重

徳重とくしげの北方台地、字ふもとにある。法智山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。島津(奥州家)元久曹洞禅に帰依し、嘉慶元年(一三八七)石屋真梁を開山に招いて、伊集院城外北東の地に妙円寺を創建した(「島津元久譜」旧記雑録)。「伊集院由緒記」では明徳元年(一三九〇)建立とし、伊集院氏から寄進の田一〇町ほかによって七堂伽藍を備えたとする。石屋は伊集院忠国の子で、元久室の弟であった(町田氏正統系譜)。同四年には元久の子仲翁(母は伊集院忠国の娘)が石屋を師として当寺で剃髪している(同系譜)

妙円寺
みようえんじ

[現在地名]栃尾市下塩 内山

下塩しもじお集落の中央字内山うちやまにある。真言宗豊山派、滝沢山釈迦院と号し、本尊釈迦如来。前立に大日如来文殊菩薩普賢菩薩、脇立に阿弥陀如来と不動尊を安置し、寺歴の複雑さを物語る。古くより下塩の金神こんじん寺とよばれた。上塩の華蔵かみしおのけぞう院、山葵谷の遍照わさびだにのへんじよう院はともにもと末寺。口碑によれば仁和二年(八八六)天台宗の僧道遂が開山。当時は文納ぶんのうにあったという。その後寺勢が衰えたのを、紀州根来ねごろ寺興教大師の高弟耀光房融源が康治二年(一一四三)人面ひとづらに移して中興

妙円寺
みようえんじ

[現在地名]米沢市大町四丁目

やなぎ町に所在。本因山と号し、日蓮宗。本尊十界大曼荼羅。当寺の書上によれば、嘉元四年(一三〇六)長井貞秀が僧日尊を開山として創建。同年貞秀は八幡神像を造り、境内に八幡社を創建したという。裏銘に同年八月一五日開眼を遂げたと記された木像八幡神像があったが、明治三二年(一八九九)頃盗まれた。江戸時代初期の柳町は、柳原中に境内四町四方の当寺のみがあったという(管見談)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報