奥才古墳群(読み)おくさいこふんぐん

日本歴史地名大系 「奥才古墳群」の解説

奥才古墳群
おくさいこふんぐん

[現在地名]鹿島町名分 奥才

講武こうぶ平野南縁の丘陵上に造られた古墳群。小谷を挟む丘陵の尾根に七支群に分れて五〇余基の古墳が分布していた。昭和五六年(一九八一)から三年度にわたり約半数の古墳が鹿島町教育委員会によって調査された。古墳のほとんどは径一〇―二〇メートルの円墳・方墳で、前方後方墳一基(三号墳、未調査)が含まれている。前期古墳としては一三号墳(方墳)・一四号墳(円墳)・三四号墳(方墳)などがあり、一四号墳の箱形石棺の内外から内行花文鏡・方格渦文鏡・紡錘車形石製品・素環頭大刀・剣・槍・などが、三四号墳の大型土師器壺中から石釧勾玉捩文鏡などが出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報