名分村(読み)みようぶんむら

日本歴史地名大系 「名分村」の解説

名分村
みようぶんむら

[現在地名]鹿島町名分

南講武みなみこうぶ村・北講武村の西に位置し、西は秋鹿あいか佐陀宮内さだみやうち村・佐陀本郷さだほんごう村。三面は小高い山に囲まれ、西方は開ける。佐陀川西境を流れ、水運は便。村内を流れる多久たく(講武川)佐陀宮内村佐太さだ神社付近で南に折れる流路、佐太神社の北方湯戸ゆど辺りから西に向かう流路の二つの流路があったが、天明七年(一七八七)の佐陀川開削にあたり西へ流れていた川筋は堰止められた。西流していた川筋は佐陀川本流として改めて開削された。中世には佐陀庄に含まれ、佐陀名分と称して開けた地域であったという。慶長七年(一六〇二)の島根郡佐陀内名分御検地帳によると田高一九一石余・反別一四町六反余、畑高五三石余・反別八町二反余、屋敷方として「反合壱町八段廿壱歩 但五拾六人」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報