奥山手村(読み)おくやまてむら

日本歴史地名大系 「奥山手村」の解説

奥山手村
おくやまてむら

[現在地名]旭町西川にしがわ西川上にしがわかみ

旭川に沿い、東は中山手奥なかやまておく村・中山手里村に接し、西の旭川上流は大庭おおば下見しもみ(現真庭郡落合町)、旭川対岸に真島ましまよし(現同上)がある。南は通谷かいだに村で、通谷川と旭川の合流点は川湊として栄え、当村域と通谷村域を含んで西川とよばれた。西川はもと旭川の古称であったため、川湊も西川とされたと思われる。明治以後も川湊西川は西川村の中心であったが、昭和二九年(一九五四)旭川ダムの完成により水没役場など中枢部は湖岸土井どい地内に移され、新しい西川の町がつくられた。

もと倭文しとり庄山手村で、江戸時代初期までには奥山手村と中山手村とに分れ、奥山手村は上分と下分とに分けられていたという(久米郡誌)正保郷帳に奥山手村とあり、田方一八七石余・畑方三八六石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高一二二石余・開高二一石余。「作陽誌」の戸口は一八五軒・一千九九人とあり、西川浜より津山まで五里一八町、大庭郡境の幸岩まで一里。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android