大庭(読み)おおば

精選版 日本国語大辞典 「大庭」の意味・読み・例文・類語

おお‐ば おほ‥【大庭】

〘名〙 =おおにわ(大庭)
書紀(720)天武一四年九月(北野本訓)「天皇、旧宮安殿(ふるみやのあんとの)の庭(オホハ)に宴(とよのあかりきこしめ)す」

おおば おほば【大庭】

岡山県の中北部にあった郡。旭川上流左岸一帯を占めていた。明治三三年(一九〇〇真島郡と合併して真庭郡となる。

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デジタル大辞泉 「大庭」の意味・読み・例文・類語

おおば〔おほば〕【大庭】

姓氏の一。
[補説]「大庭」姓の人物
大庭景親おおばかげちか
大庭みな子おおばみなこ

おお‐にわ〔おほには〕【大庭】

宮中紫宸殿ししんでん前面の庭。おおば。
寝殿造りで、寝殿の前の広い庭。
広い場所で上演される晴れの能。

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日本歴史地名大系 「大庭」の解説

大庭
おおば

現守口市の淀川南岸地域をさす。古くには難波津につながる泊(港津)として機能していたと考えられ、平安―室町時代には掃部寮領大庭庄があった。また中世には大庭関が設けられているが、これも淀川舟運の要所であったことを示している。「行基年譜」の「天平十三年記」に「大庭堀川長八百丈、広十二丈、深八尺、在河内国茨田郡大庭里」とみえる。また「住吉大社神代記」の「長柄船瀬本記」に長柄ながらの船瀬(港津)の四至を記して「東限高瀬大庭 南限大江 西限鞆淵 北限川岸」とあり、大庭は南方に位置する高瀬たかせとともにその長柄の船瀬の一角を占めていた。大江匡房の「遊女記」に「自山城国与渡津、浮巨川西行一日、謂之河陽(中略)江河南北、邑々処々、分流向河内国、謂之江口、盖典薬寮味原牧、掃部寮大庭庄也」とみえるのは、淀川を下った時の両岸の景観、熊野詣帰途を記す「中右記」天仁二年(一一〇九)一一月八日条に「未一刻着窪津、(中略)此処乗船、(中略)或引綱手或棹迅瀬、心性歓楽、已似遊興、亥刻許行着大羽、着舟於岸脚、宿舟中」とあるのは、淀川をさかのぼって当地に至った舟運の記録である。

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普及版 字通 「大庭」の読み・字形・画数・意味

【大庭】たいてい

外朝

字通「大」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の大庭の言及

【庭】より

…天皇の前に官人,百姓などが列立した〈朝庭(ちようてい)〉はこうした庭であり,平安時代,官庭,国庭,公庭(底の字が用いられることも多い)などの語によって知られるように,太政官,国衙などの公的機関にも,訴訟のさいの対決,裁判の行われる庭が存在した。寺院の衆徒の僉議(せんぎ)も庭で行われ,鎌倉幕府,室町幕府にも大庭と呼ばれた訴訟の場があったのである。当時,裁判手続上の誤り,奉行人の偏頗な審理のしかたを訴えることを庭中(ていちゆう)といったのも,この庭と関係がある。…

※「大庭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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