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太田黒伴雄(読み)おおたぐろともお

改訂新版 世界大百科事典 「太田黒伴雄」の意味・わかりやすい解説

太田黒伴雄 (おおたぐろともお)
生没年:1835-76(天保6-明治9)

熊本神風連首謀者。熊本藩士飯田熊助の次男。諱(いみな)は安国,幼名鉄兵衛。1869年(明治2)新開大神宮神官太田黒伊勢の養子となり,73年祠官となる。国学者林桜園に学び,〈わが古俗を尊び,欧風日々に我国に伝承せらるるを不快〉として,73年ごろ神道主義的保守政治を目ざし神風連(敬神党)を組織。76年佩刀(はいとう)禁止令に反対して,10月24日同志170余名と熊本に挙兵神風連の乱),鎮台司令官県令を斬ったが,みずからも傷を負い同志数人と自刃した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田黒伴雄」の解説

太田黒伴雄 おおたぐろ-ともお

1835-1876 幕末-明治時代の武士,神職
天保(てんぽう)6年生まれ。肥後熊本藩士。林桜園(おうえん)にまなび,太田黒伊勢の養子となる。明治5年敬神思想による復古政治をめざし敬神党(神風連)を結成。新政府の廃刀令,断髪令に反対して9年10月24日決起,士族170人をひきいて熊本鎮台をおそうが,流れ弾負傷,自刃(じじん)した。42歳。本姓は飯田。名は安国。通称ははじめ鉄兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太田黒伴雄」の意味・わかりやすい解説

太田黒伴雄
おおたぐろともお

[生]天保6(1835).肥後
[没]1876
幕末の新開大神宮神官。神風連の乱指導者。名は安国。国学者林桜園に学ぶ。尊王攘夷運動参加,明治政府の開国政策に反対し,神風連の同志とともに挙兵,敗死

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旺文社日本史事典 三訂版 「太田黒伴雄」の解説

太田黒伴雄
おおたぐろともお

1835〜76
幕末・明治初期の志士。神風連の乱の首領
熊本藩出身。熊本勤王党の国学者林桜園に学び神道を修める。明治政府の開国和親・文明開化の諸政策(廃刀令)に反対して神風連(敬神党)を組織し,1876年熊本で反乱をおこし敗死した。

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世界大百科事典(旧版)内の太田黒伴雄の言及

【神風連の乱】より

…敬神党の乱ともいう。敬神党(神風連)は1872年(明治5)ころ,太田黒伴雄(大野鉄平)や加屋霽堅(はるかた)らが熊本に組織したもので,彼らは保守的・国粋主義的立場から明治政府の開明政策に反対し,腰に長剣を帯び,頭に髻(もとどり)を束ね,烏帽子をかぶり,神道を尊崇し,外人を嫌忌し,復古的排外主義を主張した。この地には池辺吉十郎らの国権党や宮崎八郎に代表される民権党もあり,主義主張は異にしていたが,共に反政府の立場をとっていた。…

※「太田黒伴雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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