天羽声明(読み)あもうせいめい

改訂新版 世界大百科事典 「天羽声明」の意味・わかりやすい解説

天羽声明 (あもうせいめい)

天羽英二外務省情報部長によって公表された広田弘毅外相の対中国政策。1931年の満州事変後,日本が満州(中国東北)での支配を固めたのに対し,アメリカ,イギリス,国際連盟などは国際協力による中国経済援助工作をした。この動向に,斎藤実内閣の広田外相は34年4月,中国駐在の有吉明公使にあて〈対支国際協力に対する我方の態度等の件〉を指示した。そこでは,日本の東亜における平和秩序の維持,排日運動打破列国の対中国共同動作への反対,列国の対中国策動には〈之を破壊する建前にて進む〉などが述べられてあった。指示は機密とされたが,4月17日天羽は最後の1点を除き,独断でこれを発表し,日本が〈アジア・モンロー主義〉を宣言したものとして,列国の激しい反発を招いた。アメリカの抗議に対し,外務省は天羽声明の趣旨緩和を弁明し,中国における門戸開放機会均等主義支持を表明したが,その後の日本の行動は声明に沿う方向に進んだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天羽声明」の意味・わかりやすい解説

天羽声明
あもうせいめい

1934年4月 17日,日本の天羽英二外務省情報部長が記者会見の席上,東アジアにおける日本の立場に関して述べた非公式談話。列強が中国に対して共同動作をとることは,財政的または技術的援助であっても必然的に政治的意味を帯びる。その形勢が助長されるときには,中国における勢力範囲の設定となり,国際管理または中国分割の端緒を開くことになり,中国にとり非常な不幸をもたらすのみでなく,東アジアの安全ひいては日本に対しても重大な結果を及ぼすおそれがあるので,日本は主義としてこれに反対する。また各国別に中国に対して経済貿易上の交渉をなす場合でも,東アジアの平和と秩序を乱す性質のものならば日本は反対である。列国が中国に武器,軍用機などを供給し,軍事教官を派遣し,政治借款を供与することは,日本としては黙過できない,というのがその要旨である。アメリカ,イギリス,国際連盟などによる中国援助計画に警告を発したものであり,声明直後に欧米や中国から,アジア・モンロー主義として,また中国の主権侵害として,強い非難が起った。4月 20日天羽情報部長は修正談話を発表して,中国の独立と権益の尊重と,列国の権利および門戸開放,機会均等主義の尊重を表明。 26日広田弘毅外相もこれを敷延して英米両国大使に説明書を交付して弁明を行い,国際世論を緩和させようとはかった。

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百科事典マイペディア 「天羽声明」の意味・わかりやすい解説

天羽声明【あもうせいめい】

1934年4月17日外務省情報部長天羽英二発表の対中国政策。国際連盟の対中国経済援助に反発した天羽は,日中関係を悪化させる各国の対中国軍事経済援助に反対せよとの広田弘毅外相の中国駐在有吉明公使あての指示を独断で公表。中国・英・米の強硬な非難に対し,広田外相は,中国の門戸開放,機会均等の九ヵ国条約の条項を尊重すると弁明した。

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