大越河岸(読み)おおごえがし

日本歴史地名大系 「大越河岸」の解説

大越河岸
おおごえがし

[現在地名]加須市大越

利根川右岸の河岸。安永年間(一七七二―八一)と推定される利根川沿岸絵図(群馬県前橋市立図書館蔵)によると、利根川沿岸には当河岸を含む数多くの河岸場があり、年貢米輸送、各地物産輸出入にあたっていた。文化元年(一八〇四)の利根川通問屋仲間取極(早川家文書)には利根川右岸の武州側一三河岸が記され、大越河岸は黒田土井の二家が船問屋を勤めていた。河岸場は陸路も各地から開かれ、物産の集散地と同時に交通の要路ともなった。市域の村々の年貢の津出しは、大越河岸と権現堂ごんげんどう河岸(現幸手市)とに分れていたようで、文化一三年には大越河岸は不動岡ふどうおか常泉つねいずみ外野そとの三俣みつまた岡古井おかふるい馬内もうち荒川あらかわ町屋まちや新田・志多見しだみ北篠崎きたしのざき樋遣川ひやりかわ下谷しもや明願寺みようがんじ礼羽らいは下広川しもひろかわほか八ヵ村、権現堂河岸が船越ふなこしつじ小浜おばま大室おおむろ油井ゆいしま水深みずふか今鉾いまぼこ花崎はなさき南大桑みなみおおくわ割目わりめ・南篠崎・川口かわぐちほか一九ヵ村、久下くげ・加須・多門寺たもんじ下高柳しもたかやなぎほか二ヵ村は両河岸と議定をして引受ける村々を決めている(「取替議定証文」黒田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報