朝日日本歴史人物事典 「大谷広次(2代)」の解説
大谷広次(2代)
生年:享保2(1717)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名十町,東洲。屋号駿河屋。人形遣い辰松武左衛門の子。初代広次に入門。いったん人形遣い辰松幸助の弟子として修業ののちに,広次門下に戻る。しかし元文1(1736)年には再び師の門を出て市村竹之丞(8代目羽左衛門)の門人となって3代目坂東又太郎を名乗った。寛保3(1743)年広次と「和談とゝのひ」(『古今役者大全』)再入門して大谷鬼次を名乗り,師の没年の翌寛延1(1748)年に2代目広次を襲名した。以後,先代譲りの豪快な芸風で人気を得,特に曾我狂言の河津三郎役では,股野五郎役の初代中村助五郎との名コンビを「助・広次」「魚楽・十町」と対に謳われた。広次の名は明治期の5代まである。
(池山晃)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報