大蘆浦(読み)おわしうら

日本歴史地名大系 「大蘆浦」の解説

大蘆浦
おわしうら

[現在地名]島根町大芦おわし

加賀かか浦の南西に位置し、北西には日本海が広がる。加賀湾とともに大きく入込んだ湾に面している。南東には北山山系が連なる。加賀とは湾で続いているが、その境には長谷ながたん山など四山がある。大芦川(森田川)が浦の南東の奥谷おくだんから流れ湾に入っている。同川沿いに田地が開ける。「出雲国風土記」の島根郡大埼おおさき浜・須々比すすひ埼は当浦に比定される。永禄五年(一五六二)九月二六日の尼子義久寄進状(日御碕神社文書)によると、義久は「大蘆内五拾俵」を日御崎社(日御碕神社)に寄進している。同一二年一〇月六日、毛利元就・同輝元は多賀元竜ら三名に対し、尼子氏との合戦での籠城の功を賞して加賀の大蘆三〇〇貫などを与えている(「毛利元就・同輝元連署書状」多賀文書)。同年と推定される五月一〇日の大野氏知行書立覚(三木家文書)によると、「おあし」三〇〇貫は大野氏の所領となっており、元竜らに与えられる以前は大野氏の所領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報