大草太郎右馬(読み)おおくさ・たろうめ

朝日日本歴史人物事典 「大草太郎右馬」の解説

大草太郎右馬

没年:文政11.7.29(1828.9.8)
生年:生年不詳
江戸後期の新田開発者,倉敷代官。諱は政郷。天竜川船橋掛渡工事時の公金取り扱い不備によって流罪となった父太郎左衛門と共に,寛政10(1798)年赦免されるまでの9年を八丈島で過ごす。文化11(1814)年官職に復し,文政1(1818)年倉敷代官に任命された。児島湾北西の備中沿岸の干潟の耕地化は早くから計画されてきたものの,備中備前国境問題や開発主体,漁業補償,用水確保の問題などですすまなかったが,太郎右馬は文政3年にこの開発計画を最終的に確定した。その監督のもとに児島郡の大庄屋5人の下請によって干拓が行われ,文政6年に840ha余,5096石の広大な興除新田造成された。没年については異説がある。<参考文献>『興除新田記』『倉敷市史』『興除村史』

(神立春樹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大草太郎右馬」の解説

大草太郎右馬 おおくさ-たろうめ

?-1828 江戸時代後期の武士,開拓者。
寛政2年公金取り扱いの不備により流罪となった父とともに八丈島にわたる。ゆるされて文政元年備中(びっちゅう)(岡山県)倉敷の代官となる。児島(こじま)湾の干拓につくし,興除(こうじょ)新田840ha余の造成を成功させた。文政11年7月29日死去。名は政郷。通称ははじめ門左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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