大神村(読み)おおがむら

日本歴史地名大系 「大神村」の解説

大神村
おおがむら

[現在地名]日出町大神

藤原ふじわら村・川崎かわさき村の西に位置し、東は真那井まない村と別府湾、南も別府湾に面し、良港深江ふかえ湊がある。中世は大神庄に属し、その遺称地。江戸時代、幕府へ提出した郷帳では一村で高付されているが、日出藩では南北二村に分けていた。北大神村は唐木からき山を主峰とする鹿鳴越かなごえ山塊東麓の丘陵地帯に位置し、東西に走る丘陵の谷間に水田が、丘陵上には畑地が開けている。南大神村は標高三〇―四〇メートルの起伏の緩やかな丘陵地帯に位置し、北大神村と同じく丘陵の谷間に水田、丘陵上に畑が開けている。日出城下から杵築へ向かう道や川崎村から真那井村へ向かう道が通り、深江湊へは真那井村への道から分岐した道で向かう。

天正一七年(一五八九)七月「大神之里 常楽寺玄栄」ら一行三名が伊勢へ詣でている(「参宮帳写」後藤作四郎文書)。慶長五年(一六〇〇)二月の速見郡・由布院知行方目録写(北九州市立歴史博物館蔵)に大神庄と肩書された「中村」(高七四四石余)、「(う)るしお・てる川」(高一千二三一石余)、「後田村」(高二七五石余)、「ふかへ・軒の井」(高九八二石余)、「柿本村」(高一四四石余)がみえ、「(う)るしお・てる川」「柿本村」はのちの北大神村、残りは南大神村となったとみられる。正保郷帳には日出庄に属する大神村がみえ、田方一千二八九石余・畑方一千一二二石余。「少柴山有」「日損所」の注記がある。元禄郷帳では高二千七〇五石余。天明五年(一七八五)にも同高で、反別は二二九町四反余。免三ツ八分(「御朱印高免村分品々御用物御定」平田家文書)。南大神村の寛政八年(一七九六)の村況は、高一千七五九石余、竈数二九三・人数一千三六九、牛九八・馬一六(図跡考)

大神村
おおかみむら

[現在地名]平塚市大神

東境を相模川、西境をたま川が流れ、西は吉際よしぎわ村と小稲葉こいなば(現伊勢原市)、北は戸田とだ(現厚木市)、南は村に接する。中央を南北に八王子道、北西を大山道が通る。「和名抄」の大住おおすみ大上おおかみ郷に比定される。建治三年(一二七七)九月一三日付の二通の渋谷定仏譲状案(県史一)によれば「大上たやしき・同田」が後家に一期を限って譲られ、「おゝかミのかうのうち、はんとうニかさいけ、ならひに田一丁」が嫡子重通に譲られている。天文一七年(一五四八)二月二八日の北条家朱印状写(県史三)には「大神」とある。

近世は初め幕府直轄領と旗本伊沢・永見・木部領の四給。慶長七年(一六〇二)旗本伊沢・永見・木部・筧・榊原・服部・速水領の七給。

大神村
おおがみむら

[現在地名]昭島市大神町一―四丁目・大神町・上川原町じようがわらちよう一丁目・同三丁目・宮沢町みやざわちよう一丁目・同三丁目・田中町たなかちよう二丁目・昭和町しようわちよう一―三丁目・つつじが丘つつじがおか一―三丁目・武蔵野むさしの二―三丁目

田中村の東、多摩川北岸にある。南は同川を隔ててたいら(現八王子市)。村名は、昔神明の大社があり大神宮村と称していたとも、相模国大上おおかみ(現神奈川県平塚市)より来住した者が開いたことに由来するとも伝えられる(風土記稿)。永禄七年(一五六四)と推定される八月六日付の常陸国小田おだ(現茨城県つくば市)城主小田氏治の書状(白川文書)には、「去月廿六日氏康者、号大神所迄出陣、洪水故、于今進陣無之」とあって、北関東へ向け小田原城から出陣した北条氏康が七月二六日に多摩川の増水によってここで足止めされている。

大神村
うがむむら

[現在地名]平良市大神おおがみ

狩俣かまた村の北東沖合にある大神うがむ島一島をもって一ヵ村とする。大御神村とも記される(御嶽由来記)。古琉球から近世中期までは狩俣間切に属し、のち平良ぴいさら間切に属する。「李朝実録」世祖八年(一四六三)二月辛巳条にみえる「于甘島」は当地に比定され、宮古島と近隣の当島を含む五島の人民はたがいに往来し、飲酒をともにするという。「中山伝信録」では南七島として太平山たいへいざん(宮古島)・伊奇麻(池間島)などとともに「烏弥」とみえる。「中山世譜」では三十六島のうちに烏(俗叫大神)とある。地内の大御神御嶽(現ウプ御嶽)では旧暦六月から一〇月にかけて秘祭イーサドゥー祭、ウヤガン(祖神)祭が行われるが、島外の者にはその内容は知られていない。

大神村
おおがみむら

[現在地名]菟田野町大字大神

見田みた村東方に所在。宇太水分神社古図に「大上」と記し、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)極楽寺(現榛原町)の寺田として「三反大神 一反半見土路」とある。当村の神御子美牟須比命みわのみこみむすびのみこと神社は、大神おおみわ神社と関係があった。

慶長郷帳には「大かミ村」とあり村高一四二・六八四石。

大神村
おおがみむら

[現在地名]大田原市大神

東へ流れるほうき川右岸河岸段丘上にあり、南境を権津ごんづ川が東流する。西は佐久山さくやま町、東は福原ふくわら村。元和六年(一六二〇)の那須資重書状(那須譜見聞録)に村名がみえる。慶安郷帳には「大上村」とあり、田一一〇石余・畑三七石余、旗本那須領。元禄郷帳では幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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