大嵐村(読み)おおあらしむら

日本歴史地名大系 「大嵐村」の解説

大嵐村
おおあらしむら

[現在地名]足和田村大嵐

北東から東は足和田山(一三五五メートル)の東端天神てんじん峠に続く羽根子はねこ山を境に勝山かつやま(現勝山村)、南は富士山裾野原野に続き、南西は足和田山の支尾根で成沢なるさわ大田和おおだわ(現鳴沢村)と境する。文亀三年(一五〇三)九月八日の日蓮像台座銘写(蓮華寺蔵)に「大原之庄内大嵐郷」とみえ、大池坊日似が本願主となり、郷内の信者に勧進して蓮華れんげ寺の日蓮像の彩色を行ったという。慶長古高帳に「おあら」とみえ、高五〇石。寛文九年(一六六九)検地帳(大嵐区有文書)に大嵐村とみえ、高五七石余。八代郡上芦川かみあしかわ(現芦川村)から駿河国富士郡へ向かう若彦わかひこ路が天神峠を越えて大田和に通じており、集落は天神峠下の窪地状の所にある。

大嵐村
おおあらしむら

[現在地名]白根町大嵐

御勅使みだい川右岸の段丘上にあり、東は塩前しおのまえ村、南は御勅使川を隔てて駒場こまば村、西は須沢すさわ村。天正一七年(一五八九)一二月一一日の伊奈忠次知行書立写(記録御用所本古文書)によれば、甲州内で武川衆中に安堵された知行のなかに「大嵐之郷」二八俵八升がみえる。この書立では「甘利」のうちであった。慶長古高帳では高四四石余、幕府領、ほかに観音領二石余がある。寛文一二年(一六七二)の検地帳(県立図書館蔵)では上畑五反余・中畑二町一反余・下畑七反余・下々畑四反余・山畑一反余、屋敷五反余で高六二石余、ほかに除地として黒印地善応ぜんのう寺五一八坪、同寺屋敷・畑がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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