足和田村(読み)あしわだむら

日本歴史地名大系 「足和田村」の解説

足和田村
あしわだむら

面積:二八・一五平方キロ

郡の西部にある。北東河口湖かわぐちこ町、南東勝山かつやま村、南は足和田山(一三五五メートル)を境として鳴沢なるさわ村。西は青木あおきヶ原樹海とよばれる溶岩原野で西八代郡上九一色かみくいしき村に接し、北は十二じゆうにヶ岳(一六八四メートル)おにヶ岳(一七三八メートル)など急峻な御坂みさか山地の山々が続き、鍵掛かぎかけ峠で東八代郡芦川あしがわ村に通じる。東部に河口湖の西部(奥河口湖)を含み、中央に西さい湖がある。河口湖に近い長浜ながはま地区・大嵐おおあらし地区は標高八四〇メートルほどであるが、長浜から鳥居坂とりいさか峠を越えた西湖さいこ地区は標高九〇〇メートル以上である。河口湖畔に沿って湖水を周回する県道が河口湖町大石おおいしから西進して長浜を通り、ここから南東進して勝山村で県道鳴沢―河口湖線に接続する。長浜で分岐して西へ向かう県道西湖―青木ヶ原線は西湖・根場ねんばを経て国道一三九号に接続する。

貞観六年(八六四)五月、富士山の寄生火山長尾ながお山から溶岩が流出し、溶岩流が本栖もとす湖との海を埋めた。の海は「万葉集」巻三に収める長歌に詠まれる湖であったが、このとき分断され西湖と精進しようじ湖が形成されたといわれる。明応七年(一四九八)八月二五日の大地震に続く二八日、激しい風雨により西海にしのうみ・長浜などで「壁」に押されて圧死した人が多数にのぼり、「アシワタ小海」(勝山記)の巌が流れて白山になるなど、西湖から河口湖の周辺にかけて大きな被害があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報