大塚敬節(読み)おおつかよしのり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大塚敬節」の意味・わかりやすい解説

大塚敬節
おおつかよしのり
(1900―1980)

医師、漢方医学研究者。漢方復興運動の指導者の一人。高知市追手筋(おうてすじ)に、医師恵迪(よしみち)、宮の二男として生まれる。1923年(大正12)熊本医学専門学校を卒業、父の業を継ぎ内科を開業。1924年松木福栄と結婚。1927年(昭和2)ごろより漢方に関心を抱き、1930年上京して湯本求真(1876―1941)に師事し、翌1931年東京市牛込(うしごめ)区に開業。1945年戦災にあい転居するが、1955年(昭和30)新宿区三栄町に移り、同所で没した。東洋医学関係の諸団体を指導したが、1973年6月、北里(きたさと)研究所附属東洋医学総合研究所設立にあたり、初代所長となる。『大塚敬節著作集』(全8巻)のほか、東洋医学、医史学関係の著書論文が多い。

大塚恭男

『『大塚敬節著作集』8巻・別巻1(1980~1982・春陽堂書店)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大塚敬節」の解説

大塚敬節 おおつか-よしのり

1900-1980 昭和時代の漢方医学者。
明治33年2月25日生まれ。熊本医専(現熊本大医学部)卒業後,郷里の高知市で開業。昭和5年上京して湯本求真にまなび,翌年漢方医院をひらく。9年日本漢方医学会を設立,48年北里研究所付属東洋医学総合研究所を創設し,所長となる。東洋医学の研究と普及につくした。「大塚敬節著作集」がある。昭和55年10月15日死去。80歳。

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