多々良浜の合戦(読み)たたらはまのかっせん

山川 日本史小辞典 改訂新版 「多々良浜の合戦」の解説

多々良浜の合戦
たたらはまのかっせん

1336年(建武3・延元元)3月,筑前国博多の多々良浜(現,福岡市東区箱崎付近)で足利軍が菊池軍を破った戦闘。北畠顕家率いる奥州軍に京都を追われた足利尊氏は,同年2月29日,少弐大友島津など諸豪族に迎えられて九州に上陸。一方,九州宮方を指揮する菊池武敏大宰府に侵攻し,少弐貞経の拠る有智山城を陥落させ,さらに博多に進んだ。3月2日,多々良浜で足利軍と菊池軍が会戦兵力では菊池軍が有利だったと伝えられるが,松浦(まつら)党の内応,日和見戦力の脱落などにより菊池軍は敗北武敏本拠の肥後菊池に逃亡し,阿蘇惟直(これなお)・秋月種道らは戦死した。尊氏は急速に勢力を盛り返し,4月3日には京都をめざして東上した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「多々良浜の合戦」の解説

多々良浜の合戦
たたらはまのかっせん

1336年におこった足利尊氏と菊池・阿蘇氏との戦い
九州に敗走した足利尊氏は,少弐・宗像 (むなかた) 氏らに迎えられ,福岡の東北多々良浜で,菊池・阿蘇氏と戦って大勝した。この合戦は尊氏の勢力回復の転機となり,東上の基礎をつくった。

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